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がけっぷちに陥った老舗の高級テーラー。社長夫人が大改革し、ブランド復活させる

銀座テーラーグループ社長(仕立て服専門店)鰐渕美恵子

2009年6月9日(火)

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政財界トップを顧客に持つ、東京・銀座の高級テーラー。
2代目の放漫経営で窮地に陥った会社を救ったのは、社長夫人。
婦人服への進出など斬新なアイデアを打ち出す。
古参幹部は猛反対したが、押し切って改革を断行、
見事に店をよみがえらせた。

PROFILE
にぶち・みえこ
1948年大阪生まれ。70年甲南大学文学部英文科卒業。同年、大阪万国博覧会国連館VIPコンパニオンとなる。73年銀座テーラーグループの後継者、鰐渕正夫氏と結婚。92年銀座テーラーグループに入社。95年総支配人、2000年、3代目社長に就任。06年職人を育成する日本テーラー技術学院を開校

銀座テーラーグループは、1946年に鰐渕正志が創業した仕立て服専門店。一流の生地を職人が手縫いで仕上げる。服は安いものでも30万円。世界高級紳士服展に日本代表として4回出場するなど海外でも知られた存在で、顧客には政財界のトップが名を連ねる。

 その正志の一人息子、正夫に嫁いだのが鰐渕美恵子である。

 大阪の菓子問屋に生まれた美恵子は甲南大学を卒業後、大阪万博のコンパニオンを経て、正夫と見合い結婚する。二人の娘にも恵まれ、生活は順風だった。だが、84年に創業者の正志が他界。これを境に、美恵子の運命は大きく変わっていく。

 80年代後半の銀座はバブル景気に沸いていた。銀座テーラーも、営業マンが得意客回りをしなくても会社にいるだけでどんどん注文が入る。贈答用の仕立て券も飛ぶように売れた。

 「主人はもともと仕事が好きな人ではなかったが、2代目の社長になってからも変わらなかった。会社経営そっちのけで毎日遊び歩いていた」

 だが、バブル崩壊で、高額商品を扱う銀座テーラーの顧客は日を追うごとに減少した。正夫は道楽で絵画を買い集めていたが、その購入資金として自社ビルを担保にした借り入れも、莫大な金額にふくらんでいた。


銀座テーラーグループの御曹司、鰐渕正夫氏(中央)と結婚したときの披露宴風景。このときは将来、社長に就くとは夢にも思っていなかった

 会社が窮地に立たされていた92年に、美恵子は入社する。きっかけは営業部門のトップが、「もう売っていく自信がない」と退職を申し出た際、美恵子を会社に入れることを正夫に勧めたことだ。

 「夫は不摂生がたたり、重い腎臓病になった。そんな社長を支えるのは、妻の私が適任と考えたのでは」。美恵子はそう説明するが、本当の理由はおそらく別にあったのだろう。

 正夫から会社の内情を聞いた美恵子は、顔見知りの営業マンたちを昼食に誘い、銀座テーラーの状態を熱心に尋ねた。菓子問屋の家で毎日大勢のお客が往来する様子を見て育った美恵子は、商売感覚も持っている。正夫に進言した営業マンは、そんな美恵子に会社を変える可能性を感じたのではないか。美恵子自身も会社の危機を知るにつれ、「銀座テーラーのために働きたいと思うようになった」と言う。

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