今から8年前の2001年、経営危機とも言える状況に陥った松下電器産業(現パナソニック)は社員、OBをも巻き込むリストラに取り組む一方で、新しいタネまきをしていた。
パナソニック・スピンアップ・ファンド(PSUF)。同社の創業者である松下幸之助のような起業家精神を持つ社員のアイデアに投資する社内ベンチャー制度を始めていた。事業案件の審査には社外の専門家を入れ、立ち上がった後も経営のプロにチェックさせるなど、社内ベンチャー制度特有の甘さを排除。さらに、新会社は3年で黒字化、5年で累損を一掃しなければ解散させるのが条件だった。
これまでに571件の応募があり29社が設立した。その中で生き残った会社は・・・。
パナソニックから生まれたベンチャーたちを追う。
―― スマックのお仕事とは。

スマック代表取締役社長
1959年岡山県生まれ。大学院(工学研究科)を卒業後、84年松下電器産業に入社。空調研究所配属、空調関連の研究開発に従事し、エアコン用小型スクロール圧縮機の商品化などを担当。2003年スマックを設立。代表取締役社長に就任し、現在に至る
河原 一言で言えば、あらゆる分野で、規模に関係なく、電動化・省エネ化の道を考える仕事。その軸として、どんなモーターでも効率稼働できるような技術開発をお手伝いする仕事です。
世の中にはいろんなモーターがあります。私たちは、あらゆるモーターに対応できる独自のインバーター装置を開発しました。この装置を中心に、家電製品から業務用機器、工場設備などの省エネを提案しています。
私は入社以来、空調の研究開発部門にいました。まぁ20年近くも研究を続ければ相当のノウハウは蓄積されます。技術の市場性、用途の可能性も見えてきます。研究室にいても「あ、この技術ってこんなことにも使えるのではないか」とか思うことが多いんです。
例えば、エアコンに搭載されたモーターをエネルギー効率良く制御する技術は、そのまま他分野の商品でも転用できるんです。さらに、パナソニックで扱っている製品分野だけでなくとも、いわゆる「省エネ」が実現できる分野はあります。あ、こんなことでも貢献できるな、とか思うことも多いんです。
研究開発部門にいた時は直接お客さんに接することはありません。それでも、役に立つ製品を開発することで社会に貢献できる、とは考えるんですよ。
―― 本当ですか?
河原 ええ。本当に。“建前”ではないです。建前で言っているとできないんです。「なんか、貢献できることはないか」というふうに見ていくと、いろんな分野でも使えないか、と思うんですね。
―― 無理なく。
河原 ええ。しかし、ここからが悲しいところなのですが、巨大組織では製品分野を超えて技術を共有するのは大変です。ましてやパナソニックが扱っていない製品市場となると、無理なんです。
―― 新しい可能性があることは分かっている。なのに、みんな、せっかくのチャンスを逃している、と。
河原 ええ。まあ、日々やっている仕事も出し方によっては、もっともっと世の中に役立つ、社会に貢献できるんじゃないかと。今のような、たまたま同僚と酒を飲みながらしていたんです。今から7年前、43歳の時です。それならスピンアップ・ファンドで1回チャレンジしようか、という話になりまして、私が事業計画書を書くことになったんです。
V字形回復の象徴としての幸之助さん
―― 申請されたのが2001年。ちょうど今回の「スピンアップ・ファンド」が始まって1年目ですが、制度の存在は知っていたんですか。
河原 ええ。今の中村会長が社長に就任した時に、社内向けには大々的に発表してましたから。当時、パナソニックという会社の存在がグラグラ揺らぐほど業績が低迷しました。そこからなんとか脱出し、V字回復する目標を掲げました。
その時、経営陣から社員まで、よりどころにしたのが創業者であり、経営理念だったんです。創業者・松下幸之助自身はベンチャーからここまでにしてきたんじゃないかと。みんなが「原点」に返れ、という意味も込めて、経営陣はベンチャー制度を設立したと聞いてます。
―― 本格的な社内ベンチャー制度としては今回が初めてだったとか。今回の制度では、社内だけではなく社外の専門家による審査もあったんですよね。
河原 結構、厳しくて何回もトライして、10回ぐらいトライしているのもいます。だけど、私どもは運がよくて1回でパスしたんです。
―― その違いは。
河原 振り返ると、「明確」だからだったと思うんですよ。
―― 明確とは?
河原 このスマックという会社の事業と、スマックで自分たちがやりたいことです。
―― その事業の内容とは何でしょうか。技術の話も含めてお願いします。
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