職業としての「社長」を自ら選び、活躍されている方をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、自身の経験を語って頂くトークセッション「Road to CEO」。第4回のゲストは、タイコヘルスケアグループジャパン代表取締役社長の織畠潤一氏。米国に本拠を置き、世界で4兆円の売上げを誇るコングロマリット、タイコインターナショナルのヘルスケア事業部門日本法人で、医療用機器および医薬品原料等の輸入・製造・販売を扱う。外科手術関連機器、呼吸管理関連機器、シングルユース医療機器、造影剤、医薬品原料といった製品を持つ、医療業界の有名企業だ。
織畠氏は、横浜で生まれ、札幌の小学校を卒業してイランの中学校に入学、高校、大学をアメリカで過ごした。社会に出てからは、リクルート、MBA留学、マッキンゼー、GE、そして現職と、ユニークな経歴の持ち主である。異国での苦労、リクルートに入ったいきさつ、コンサルタントから実業会社に移ったきっかけ、GEで学んだこと、CEOとして今何を目指すかを、生の言葉でお伝えする。
司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に4回に分けて掲載する。
山中(以下Y) ご経歴を見ますと、日本で小学校を卒業されてイランに行かれています。イラン時代、何かご記憶に残っていることは。
イランでは、日本人学校ではなくアメリカンスクールに入ったんです。英語は話せませんし、授業も最初は当然ついていけない。イランという非常に違うカルチャーのなかで英語を学び、アメリカ人社会で暮らしていかなければならなかったという点で、環境への適応能力は養われたと思います。
Y その後、アメリカに行かれ、マサチューセッツ工科大学(MIT)に進まれて電気工学を専攻された。このキャリアはどうして選ばれたんでしょうか。
イランには結局2年いて、アメリカに行きました。南部のジョージア州です。アメフトもやりまして、そこで高校生活を謳歌して首席で卒業しましたが、特に理工系に興味があったんです。もともと母の実家が病院ということもあって、幼いころからの夢は医者になることでした。
アメリカで医者になるには、医学部に直接入るのではなくて、普通の大学を出てから医学部に入ります。いわゆるプリメッドですけれど、理工系でプリメッドが充実している学校ということで、いくつか考えました。
第1候補がMIT、次がジョージア工科大学(ジョージアテック)でした。ジョージアテックは全米でも工学部ではトップ10に入るほどの州立大学ですし、奨学金ももらえる。うちは中流家庭だったので家計的にも助かりますが、私の育ての父もエンジニアで、MITに受かったところ、ぜひ行けと後押ししてくれて、行くことになりました。
司会:秋山(以下A) いわゆる帰国子女なのに日本語が大変お上手ですよね。日本語もずっと勉強しておられたんですか。
いただいたコメント
コメントを書く