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「溶接機事業部」からハーバードまでの道
~ダイエー 樋口泰行社長(1)

2006年9月13日(水)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語って頂くトークセッション「Road to CEO」。

 今回は、経営再建中のダイエーの社長を勤めてきた樋口泰行氏をゲストに迎えた。ご承知の通り、樋口氏は8月22日に辞意を表明し、10月6日に退任する。後任の人選も完了している。このトークセッションは辞意表明の直前、8月9日に行われた貴重なものとなった。

ダイエー 樋口泰行社長

 樋口氏は大阪大学工学部を卒業後、松下電器産業に入社し、溶接機事業部に配属された。ハーバード大学に社内留学するが、帰国後、半年で退社、ボストン・コンサルティング、アップルコンピュータを経て、コンパックコンピュータに入社、日本で大ヒットしたプレサリオの開発・販売に携わった。

 2002年にコンパックと日本ヒューレットパッカードが合併し、日本ヒューレットパッカードとなり、2003年、同社代表取締役社長に就任した。そして2005年5月、ダイエーの再建を引き受け、同社の社長に抜擢された。

 松下時代に最初に配属された溶接機事業部の時代と、ハーバード留学時代の苦労話から、外資系メーカーでの奮闘、ダイエー再建の経緯まで、幅広く語っていただいた。その模様を生の言葉でお伝えする。

 司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に3回に分け、本日から連続して掲載する。

内気なエンジニアの殻を壊したもの

司会、山中(以下Y) 大阪大学の工学部を卒業、松下電器産業に入社され、どちらに行ったかといいますと、溶接機事業部。これは相当、就職先と現場とのイメージが違ったのではないでしょうか。

 大学は理系だったのですが、最初は営業を希望したんです。そうしたら、「せっかく工学部で電子工学を専攻したのにもったいない」と、会社側が理系の職場に振り分けた。そうしましたら、他は埋まっていたのか、誰も希望を出さなかった溶接機事業部へ配属になったんです。本当に毎日、火花を飛ばして溶接をやっていました。当時はマイクロコンピューターとかデジタル技術があって、「技術者として、こんなことをやっていて大丈夫かな」と思っていた。

Y そう言いつつ、5年間に6個、この分野で特許を取られた。そのモチベーションとなるものを、ご自分で何か見つけられたからだと思うのですが。

 小さい事業部でしたので、技術者といってもクレーム処理に行ったり、トラブルがあったらラインに入って手直ししたりとか。購買も営業も何でもやる、そんな感じでした。でも、知的好奇心はなかなか満たされない。そこで、英語を習いに行ったり、直接いまの仕事では必要ない情報処理技術者資格を取ったりとか、そんなことをやっていました。

 ただ、「1つのことができないと、どこへ行ってもダメじゃないか」という気持ちがあったんです。成熟した分野で、スポットライトも浴びない非常に地味な職場ですけれども、「(仕事が)できるようになるまでは、やらなければ」という気持ちでいました。

Y 当時、経営者になりたいと、お考えになったことはありますか。

 人を引っ張っていくタイプでは全然ないんです。今でこそ、何とかやっていますけど、できたら、人としゃべりたくないくらいです。だけれども、わりと負けず嫌いのところがある。

 溶接をやっているときはそうは思わなかったですが、「社長になりたい」と思い始めたのは40歳ぐらいからですね。

 なぜかというと、色々なことが分かってくれない上司の下で苦しんだことがあって、その時に「みんなが生き生きと働ける職場をつくりたい」と考えたんです。小さい組織にいましたけど、そういうことをずっと思っていた。ならば「自分が社長になって躍動感のある会社をつくる」。そう、おぼろげながら思ったのは40歳を過ぎてからです。

大阪を離れ、IBM流の仕事に触れる

Y その後、松下電器の社内で異動される。IBMのOEM事業部ですね。

 そうですね。当時は「デジタルの技術を身につけなければいけない」と思っていた時期でしたが、ちょうどIBMのOEMで、松下がワークステーションを作っていまして、その部署に応募したんです。

 そもそも私は「一生大阪で暮らして、一生松下に勤めて」と当時思っていまして、東京に行くなんて、それこそ夢にも思っていなかった。

 大阪って、あまり外国人を目にしないんです。まして工場にいましたから、外国人なんか見たことない。そんな中でIBMとの付き合いが始まったわけです。

Y いかがでしたか。

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「「溶接機事業部」からハーバードまでの道
~ダイエー 樋口泰行社長(1)」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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中村 克己 元ルノー副社長、前カルソニックカンセイ会長