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夢を追いかける仁侠の人(その7)

日本電産社長・永守重信 ―― 2010年の夢

  • 高橋 三千綱

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2006年9月29日(金)

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 「我々は、夢を形にしようと宣言してこの会社を始めた。それをいまだに言い続けている。どこまで行っても夢を追いかけているんです」

 そう永守さんはいう。夢とは、日本電産という会社を、「世界規模の企業に成長させる」という壮大なものだった。

 それが見えたのは、創業から11年後の1984年のことだった。この年、日本電産は初めて企業を買収する。相手はかつてのファンの大手メーカー、米トリンで、この2年前に、トリンはセラミック製品メーカーの米クリーブパックに買収されていた。

 この会社から、ファン事業部門となった旧トリンを480万ドルで買収したのである。最初、相手側は1000万ドルとふっかけてきたが、半年間に及ぶ交渉の末、半値以下に値切ることに成功したのである。

永守重信氏
永守 重信(ながもり・しげのぶ)氏

1944年8月、京都府生まれ。62歳。67年、職業訓練大学校卒業後、メーカー勤務を経て、73年に日本電産を創業。精密小型モーターを主力に80年代から90年代のハードディスク市場の拡大に乗って急成長させた。積極的なM&A(企業の合併・買収)を実施。傘下に収めた経営不振企業を短期間に次々と再生してきた。2010年に連結売上高1兆円を目指す。

 なぜ、トリンにこだわったのか。それは、ファンモーター事業を大きくするには、ファンの技術が不可欠で、それには世界的なシェアと技術力を持つ、トリンの力を利用するしかないと、ずっと永守さんは考え、狙いをつけていたのである。

 それも会社を起こして2年後の1975年頃から、トリンの経営陣に、合弁会社の設立を働きかけていたというから、根性がある。その頃の日本電産は、従業員がわずか30名ほどの規模でしかなかったのだ。

 「相手がどんなに大きかろうが、自分の思いは相手に伝えておかなくてはだめ。腹の中で思っているだけでは意味がない。嫁さんを選ぶ場合でも同じでしょう。自分の意志を、はっきり相手に伝えておけば、いつか実るものです」

 1995年に、自動変速機のトップメーカーだったシンポ工業を買収したが、その数年前に、

 「会社を売ってもらえませんか」

 と、当時の社長、中溝恒夫氏に声をかけている。そのときはけんもほろろに断られたが、数年後に買収が現実となった。

 2003年には、精密機械メーカーの三協精機を傘下に納めることに成功している。これは23件目のM&A(企業の合併・買収)で、精密機器のライバル会社を買収したということで、世間の注目を浴びたが、その三協精機の社長に対して「売ってくれないか」と直接声をかけたのは、その5年も前のことだった。

 「みんなそうです。早くに思いを相手に伝えておけば、いつか夢は叶うものです」

 もっとも芝浦を買収したいといったときは、東芝の首脳陣からこっぴどく叱られたという。

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