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日付の入らない夢を見る人(その3)

ワタミ社長・渡邉美樹 ―― 暗く冷たい道

  • 高橋 三千綱

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2006年11月10日(金)

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 誰でも、生きている限り、少年少女期に、何度か痛みを受ける。精神的な痛みであれ、肉体的な痛みであれ、必ず受ける。そう感じたことのない人は、幸せに育ったということではなく、痛みに無神経だっただけである。そういう人は、他人の痛みにも鈍感である。

 子供時代の美樹さんは、他者の心に思いやりを持つことのない、少年だった。ガキ大将というだけではない。乱暴だったし、家が裕福であることに、何の疑問を持つことのない「選ばれた」子供だった。小学1年生ですでに、教室に竹刀を持ち込んで、おとなしい級友を威嚇して得意気にふるまっていた。

 担任の教師は、そんな美樹少年を評して「末は総理大臣か大泥棒」だと母にいった。その母は、白いスポーツカーに乗って颯爽と授業参観に訪れ、息子を乗せて小学校から帰った。その帰りの車中で、母はスカーフをなびかせながら含み笑いをしていった。

 「あの教師は美樹さんのいいところを何も分かってないわ。でも、あなたが大物だということだけは当たっているわ」

 美人で聡明な母は、少年の美樹さんにとっても自慢の母だった。

渡邉 美樹氏
渡邉 美樹(わたなべ・みき)氏

1959年神奈川県生まれ。明治大学商学部を卒業した後、経理会社に半年間勤務。その後、佐川急便のセールスドライバーとして働き、独立資金を貯める。84年、渡美商事を設立。86年、ワタミを設立し、翌年、ワタミフードサービスに社名変更。96年に店頭上場し、2000年に東証1部上場。2005年春、ワタミに社名変更。

 だが、美樹少年が小学5年生を迎えた5月。母は、1年間に及ぶ闘病生活の末に、亡くなった。36歳だった。

 野球のジュニアチームの中心選手だった美樹少年は、ユニフォームを着たまま病室に駆け込んだが、母はすでに息を引き取っていた。前日、母を見舞ったとき、笑顔をみせていただけに、母の死が信じられなかった。

 亡きがらを前に、おかあさーんと泣き叫ぶ少年の姿は、親族の涙をさらにさそった。

 もともと腎臓の弱かった母は、父から任された映画のCM製作の会社を運営することになって以来、過労気味だった。しかし、そんなことは少年には分からない。腎臓透析のできる病院に転院することが決まり、その治療がうまくいけば母は退院することになっていて、その日を心待ちにしていただけに、突然の訃報は、少年の心をずたずたに切り裂いた。

 その日から、少年は毎日泣いて過ごした。

 学校に行っても、級友とは喋らず、大好きだった野球もやめてしまった。食事もとらない少年をみて、父と姉と祖母は、このままでは衰弱死してしまうのではないかと心配するほどだった。

 その心配は、実は当たっていた。母の面影をしのんでは、自分も死んでしまおうと少年は思い詰めていたのだ。

 何日たっても、少年は、母の死を受け入れられなかった。現実に空虚な家の中に母の姿はない、それはもう決して現れることはないのだ、と分かっていても、少年は認めることができなかった。ただ、悲しみの中に埋没していた。

 見かねた父が、ある日、少年を公園に連れ出して諭した。

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