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「当たり前」が通じない組織という魔物

~マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング柴田励司社長(1)

2006年12月12日(火)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語っていただくトークセッション「Road to CEO」。今回は、世界最大の組織・人事マネジメント・コンサルティング会社、マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングの日本法人を率いる柴田励司氏をゲストに迎えた。

マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング 柴田励司社長

 柴田氏は、上智大学卒業後、京王プラザホテルに入社し、在オランダ日本大使館に出向後、同社人事部で抜本的な人事制度改革に携わった。1995年マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングに入社、2000年より日本法人のCEOとなる。

 自身の就職の経緯から、大使館での経験、ホテルで行った人事制度改革の中身、組織運営の秘訣と人事の課題、日本が抱える問題まで、幅広く語っていただいた。その模様を生の言葉でお伝えする。司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に4回に分け、火・木曜日に掲載する。

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 大学時代、演劇に関心があったものですから、ある劇団の門をたたき、オーディション受けて合格し、デビューしたんです。最初に出た役がやくざで、その次がポン引き。ろくでもない役ばかりで、このままで自分の芸風が決まってしまうことを恐れて、その劇団を辞めて、自分で劇団をつくりました。

 2カ月に1本公演を打つというむちゃなことをやったものですから、短期間でクオリティが上がり、大学4年のときには賞をいただきました。この道で飯が食えるんじゃないかと本気で思っていた時代がありましたね。

山中(以下Y) 就職に際しても、関係業界を最初はお考えになったとか。

 そうですね。実は、渋谷にある某公共放送でドラマを作りたいと(試験に)出掛けてたんですけど、途中からマイクテストになって、「すみません、私はドラマを作りたいんですけど」と言いましたら、「いきなりドラマはない。最初は報道かアナウンスだ」と言われた。当時、アナウンスというと、いい印象はなかったので、「やめます」と言って出てきてしまった。

 ただ、ある会社から映像関係の若手のディレクターで人を探していると言われて、願ってもない条件でもありましたから、「ぜひやらせてください」と、行くことになっていました。

3月31日に内定取り消しに

Y ご著書で読んだのですが、3月31日にその内定が取り消しになってしまう。

 3月25日に大学を卒業し、うちでぶらぶらしていたら呼び出しがありました。人事担当の人が真っ青な顔で座っていて。「会長の気が変わったからあの話はなくなった、申し訳ない」と言って、頭をすりつけるぐらいの勢いで謝られたんです。もうどうしようもなくて、怒ったというより、いわゆる(頭の中が)真っ白というやつです。

Y それで?

 実はその会社の内定を取る前に、新宿の京王プラザホテルから内定をもらっていたんです。実は(就職案内の)DMが一番最初に自宅に届いて、親の手前、就職活動を一切しないのはまずいと思って、受けに行ったところ、運よく入れていただいた。最後、その映像関係の会社から内定が出たということで、お断りしていたんです。

 内定取り消しになった会社は赤坂にあるんですけれど、赤坂をふらふら歩いていたら、新宿の高層ビル街が見えるんです。その中に京王プラザホテルが。

Y 見えちゃったわけですね(笑)。

 「あっ」と思って思わず電話ボックスに入って、「すみません、もう1回入れてもらえないでしょうか」と恥を忍んで電話したところ、人事担当者は目を三角にしたようでしたが、人事担当役員が太っ腹で、「今すぐ来なさい」と。3時に職を失って、5時20分には復職したという状況でした。

Y それでホテルに入られるわけですね。

 はい。最初の10年間は、京王プラザホテルとそれからオランダの日本大使館で仕事をしておりまして。最初は皿洗いです。その後はベルマン、荷物持ちをやり、宴会のサービス、ウェイターをやったのが最初の本配属ということになります。

秋山(以下A) もともと演劇とか、クリエイティブな仕事をしようと思われていたのに、ホテルに入るとほとんど雑用というか、そういう仕事ばかりですね。転職したいと思わなかったですか。

 思わなかったですね。というのは、ホテルというところ(の従業員)は中卒から大学院卒までいるんです。なおかつ、裏で働いている配膳会の方々はこのヒト何人だろう?という方から、ついこの間まで“塀の中”にいたとか、自分が今までまったく会ったことのないような人たちの集団で、すごく面白かった。お客さんから食材について聞かれると、すごくうんちくのある話ができたりして、「これはすごい、それに比べて自分は何にもできない。何とかしたい」という思いの方が当時は強くて、「やっていられない」と思ったことはなかったです。

Y そして、1987年2月に在オランダ日本大使館に行かれる。

A これは出向扱いですか。

 そうですね。

Y 会計庶務班とありますが、どんなお仕事を。

 大使館の中の会計、総務、人事、経理をやるんです。あと私が特にやらなければいけなかったのは便宜供与。日本の要人が訪れるときに、空港まで迎えに行って、いろいろなところに連れていったり、買い物の手伝いをしたりとか、そういう仕事です。

Y この在オランダ日本大使館には、民間から来られた柴田さんのような方と、それから外務省とか他の省庁の方も。

 他の省庁が半分ぐらい。当時の名前で言うと法務省、運輸省、農林水産省、通産相から来ていました。現地採用の人もいました。

Y いろいろな人がごった煮になっている場所、ホテルも考えてみればそうですね。そういったところを続けざまに見てこられた。

 そうですね。まさにこのときに感じたのが、一人ひとりは相当優れた人がいらっしゃるんですけれども、全体となるとまったく機能しないということです。

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「「当たり前」が通じない組織という魔物」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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