• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

国内唯一、親子三代でギターピック専業

(池田工業の巻:前編)

  • 双里 大介

バックナンバー

2006年12月25日(月)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 こんな仕事があったのか! そこまで熱意を注ぐのか! 計算や効率からは到底理解できない「働き者」たちを、双里大介が日本中から探し出す。お金、名声、自己満足以外にも、働く理由はあることが、彼らの言葉から見えてくる。今回登場するのは、山崎まさよしをはじめとするミュージシャン達が惚れ込む、しかし単価は1枚数十円、そんなギターピックを親子三代で作り続けている岐阜のメーカー「池田工業」だ。(文中敬称略)



 盆の時期に徹夜で踊り続ける「郡上踊り」で知られる岐阜県郡上市。美濃の山々に囲まれた自然の中に、従業員数20人の小さな町工場がある。国内唯一のギターピック専業メーカー「池田工業」だ。

池田工業の山間にある小さな工場。ここでギターピックを作り続けている
池田工業の山間にある小さな工場。ここでギターピックを作り続けている
池田工業の山間にある小さな工場。ここでギターピックを作り続けている

 池田工業は、池田正夫(80)、俊雄(58)、直紀(31)と、親子三代にわたりピックを作り続けている。月産枚数は80万枚。そのピックは、国内外のミュージシャンに愛用され、有名アーティストから直々にオリジナルピック製作の依頼が数多く舞い込む。

 創業は1970年。60年代前半にベンチャーズが着火点となったエレキブームは、66年のビートルズ初来日を経て、「GS(グループサウンズ)ブーム」として大爆発した。ギターは若者カルチャーの象徴となり、その需要は急激に伸びていく。当時、ピックはアメリカなどからの輸入品がほとんどだった。「商売になる」。国内の楽器メーカーも国産ピックの製造に乗り出した。

 「ピックを作ってみないか」。池田正夫の元にもピック製造の打診が舞い込んだ。正夫は職を転々とした後、セルロイドの造花を製造する小さな工場を営んでいた。

「仕事をくれるというなら喜んで」

 目の前に差し出されたのは、長さ数センチのおにぎり型の薄い板。正夫は音楽にも楽器にも興味がない。その時、それがピックというものだと初めて知った。何の造作もない。簡単に作れるだろうと思った。

創業当時に作った研磨機
創業当時に作った研磨機
創業当時に作った研磨機

 セルロイドの板を型抜きし、エッヂをなめらかにするために研磨する。ピックは簡単に作れた。しかし、試作品を持参しても「これでは使えない」。何度も突き返された。エッヂ部分はギターとの唯一の接点。研磨の具合によって弦への「引っ掛かり」が変わり、奏でる音に大きな影響を及ぼす。

 研磨剤の成分を見直し、何度も調合を繰り返した。研磨する時間や角度をあらゆるパターンで試してみた。日に何百枚とできる失敗作が、山となり積み上げられていく。OKが出たのは、試作を始めてから3カ月後のことだった。

 正夫は軍需工場のエンジニアだった。ピックの製造を手がけることが決定した後、自ら型抜き機を組み立てた。セルロイドを温め、機械に差し込み、冷めないうちにポンポンと型を打ち抜いていく。型抜きしたセルロイドを手で丁寧に研磨し、1枚のピックに仕上げていった。それでも当初は、返品が絶えなかったという。

「なんとかモノにしようと、無我夢中だった」

 正夫は44歳になっていた。家族を養うために、必死にセルロイドの板と機械に向き合った。

コメント0

「ニッポン“働き者”列伝」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

意外なことに、伝統的な観光地が 訪日客の誘致に失敗するケースも 少なからず存在する。

高坂 晶子 日本総合研究所調査部主任研究員