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銀行退社を決めた「運命の5秒間」

~長崎屋 上山健二社長(2)

2007年1月25日(木)

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長崎屋 上山健二社長

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司会、山中(以下Y) 新橋支店時代、中古車流通のジャックと出合ったお話を聞かせていただきたいんですが。

 ちょうどそのころ、住友銀行はバブルの痛手で一番傷んでいた時期でした。首都圏で新規の獲得数では、三和銀行にぼろ負けしていたんです。そうは言っても、私は新規開拓がミッションだったので、朝早く会社へ行き、いろいろな新聞を読んで、面白そうなネタに赤鉛筆で丸を付けて、回れる時間を見つけて飛び込み営業もやっていたんです。

 ある日、日経新聞の「店頭ベンチャー」欄に、ジャックのことが載った。1994年10月だったと思います。出張査定、つまり、お客さんの家まで行って車を査定し、その場で100万円ですと言って買い取るという新しいビジネスモデルをやって急伸中という記事ですね。次の日の夕方に時間があったので、飛び込んでみたんです。

Y どうでした?

 当時の常務に会えまして、中古車業界の流れを簡単に教えてもらい、「お客さんから買い取った車をそのままオークションへ持ち込んで、どんどん落札させる。在庫を持たずに高速回転させるというモデルで今伸びているんです」という話をされて。

 高速回転とは言っても、平均2~3週間の在庫期間があるので、資金需要はあると分かったので、帰ってすぐ調査部に頼んで中古車業界を調べた過去の事例を全部取り寄せて勉強して、それでセールスしたということです。

Y まだまだ小さい会社ですよね。

 そうですね。ジャックは1993年に休眠会社を起こしてつくった会社だったので、休眠前の繰り越し損失もあり、しかも債務超過の会社だったのでバランスシートはぼろぼろだったんですけど、業績は急成長していた。不動産担保の貸し金が頭打ちになってくるし、「新しいタイプの貸し金ができないか」と考えていた矢先だったので、支店長を説得しました。

急成長に祝電、「経営陣に…」と誘いが

Y 支店長さんはすぐ納得してくれたんでしょうか。

 いや、外堀を固めようと思って、融資課長と副支店長を先に口説き落として、「この日に(支店長との)打ち合わせを設定します。こういうストーリーで行くから頼みますよ」と入念に根回ししておき、支店長には、「買い取った車が、7割の確率で3週間以内に現金に換わる。しかも、今日がだめなら次の日もオークションがあるんです」と説明した。支店長は最初、「うーん」とうなり、「オークション場を見せろ」と言いまして、1回、オークション場に一緒に行った。それで支店長も渋々、ちょっと斜めにしながら(笑)印鑑を押してくれたんです。

Y そして、ジャックに1999年に転職される。

 そうですね。1995年に70億円の年商のとき、私が2億5000万円、(ジャックに)無担保で貸したんです。「僕だって銀行員としての人生、賭けているんです。70億円の年商を、絶対に2億5000万円の年間20回転で50億円伸ばして、120億円以上にしてください」と、経営者に言って、「分かった」と言ってくれたので、貸したわけです。そうしたら彼は、本当に132億円にしたんです。

Y すごい。

 それだけ彼らは必死で回したんですね。私はその132億円の決算まで見届けて、1996年に企画部に異動した。住友銀行では担当が代わると、癒着を避けるために前の支店の取引先と一切関わっちゃいけない。だから、私も一切そのオーナー経営者とは会わずにいたんですけど、1999年の2月にジャックが店頭公開をしたんです。その後も非常に順調に業績を伸ばした。新規で取ったお客さんが公開した事例というのは自分としては初めてでうれしかったので、個人的に祝電を打ったんです。

 すぐその経営者から、「ありがとうございます。1回会いませんか」という電話があった。それで会ったら、「おかげさまで公開できましたが、当社はいま史上最速の2部上場を狙っていまして、人材を厚くしたい。上山さんはうちの創業期の苦労も知っているし、うちに入りませんか」という話があったんです。

 私はちょうどそのころ、あと20年銀行にいたとして、今の体力と気力の充実が果たして続くだろうかと考えていた時期だったので、思い切って転職を決めたということです。33歳の時です。

Y ご家族にはご相談されなかったんですか。

 家族には、このタイミングで言おうと決めていた時期がありました。「嫁さんにここで言って、土曜日に関西の実家に帰って説明して、日曜日に東京へ戻ってきて嫁さんの両親に説明しよう」という段取りも組んでいたんです。だけど、ある理由で、先に言わなければならなくなったんです。

Y ほう、どんな理由ですか?

5秒間の迷いですべてが決まった

 住友銀行は、入行して最初の1カ月間、泊まり込みの新人研修を伝統的にやっていたんです。正講師は10年選手、サブ講師は5年選手がやると決まっているんですが、講師に選ばれるのは、銀行の中ではかなりいいことなんです。

 その(ジャックからの)電話があったのが2月上旬で、20日ごろに、自分の中では「辞めよう」という決意を固めていたんですが、2月25日ぐらいに部長から呼ばれて、「はんこ持ってこい」と言われた。「1カ月間、新人研修の講師をやれ」と書いた辞令が来ていた。人事部が1カ月間、上山を貸せということですね。

Y えらいタイミングですね。

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「銀行退社を決めた「運命の5秒間」」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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