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【わかるかも中国人】(20)最終回
わかるかも「天安門」~爆走する現代中国人に与えた影響

  • 中村 正人

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2007年2月19日(月)

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 前回、中国的「格差社会」の出現を読み解くカギは1960年代生まれの中国人にあるのではないか、という仮説を立てた。思わせぶりな書き方をしたが、だから彼らが悪いとかいいとか言いたいわけではない。

 彼らが青年期を迎えた頃に始まった改革開放への激流の中で、時代の先駆けとなった世代がそのときどきで何に駆り立てられ、どんなことを考えてきたかを知ることは、いまの中国社会の実像を知るうえで重要だと考えるからだ。

 さて、そこで1989年の天安門事件である。

「中国の民主化は、漸進主義しかありえないと思った」

 すでに多くのメディアや文献で語り尽くされた感はあるが、1960年代生まれの中国人が学生時代に経験し、彼らのその後に最も影響を与えたと思われる歴史的な事件だけに、それがどういうことだったのか。改革開放=反文革の時代の流れにどう影響を与え、いまにどのようにつながっているのか。あらためて筆者の親しいある在日中国人に総括してもらった。

 本来ならその当事者である1960年代生まれに話をとも考えたが、まずはやや年長の1957年生まれの中国人に聞くことにした。彼は文革による「下放」を免れた微妙な世代で、天安門事件当時はすでに30代。大人として事件の推移を客観的に見ていたからだ。

 あくまでも個人的な意見だとして彼はこう語る。

「70年代後半、トウ小平が『先に金持ちになった人間は悪くない(先富論)』なんて、文革時代とは正反対なことをいきなり言い出し、80年代に経済開放を始めた。そこまではよかったけど、当時のわずかな開放の隙間から最初に利益を得たのは、権力者の子弟・太子党だった。そのことへの若者の反発は大きかったと思う。民主化の主張に加え、『官倒』(反官僚、反腐敗、反特権)を彼らは盛んに叫んでいたでしょう」

――計画経済から市場経済への移行期のどさくさに紛れて、一部の官僚が権力を利用して子弟のために私利を得た汚職への批判ですね。中国人は民主化のような抽象的な理想よりもプラグマティズムを重んじる人たちといわれるから、反感も強かったのでしょう。

「それでも、86年頃から方励之(※)ら民主化の活動家が注目され始め、若い大学生は時代の流れに最も敏感な反応を見せた。そうだ、いまこそ民主化だと盛り上がってしまった。民主化のプロセスに関する理論はもちろん文革の経験もない未熟な彼らは、しかしまじめで鋭い批判精神だけは持っていたから、妥協しなかった。これはいわば中国人の宿痾。政府も若者も、お互いの面子のため、ひっこみがつかない。結局、力でつぶされた」

※ 方励之
1936年北京生まれの天体物理学者。北京大学物理学系卒。中国科学技術大学副長(当時)。1986年頃より学生の民主化運動を支持する姿勢を示したため、党籍を剥奪される。天安門事件後はアメリカ北京大使館にかくまわれ、1年後、アメリカに亡命。中国における相対性理論の第一人者であり、知性の象徴である彼は民主化運動の精神的支柱だった。

――そして天安門事件がテレビ映像で世界中に放映されたことで、中国政府は大いに面子を失った。

天安門事件の現場を学生の側から撮影したアメリカ人らによる写真集『Beijing Spring』は1989年9月、香港で出版された
天安門事件の現場を学生の側から撮影したアメリカ人らによる写真集『Beijing Spring』は1989年9月、香港で出版された

「その後、民主派の闘士は海外に脱出し、運動は弱体化。失脚した趙紫陽に代わってトップになった江沢民は引き締めをはかった。翌90年に中国に帰省したぼくは、時代のあまりの変わりぶりに驚いた。80年代に進んだ自由化の流れはまったく逆戻りしていた。こりゃダメだと思った。事件のおかけで結果的に自由化や民主化は後退してしまった」

――その当時(90~91年)、まるで毛沢東時代に戻ったように、政府が盛んに「和平演変」を批判して、思想教育に力を入れていたのですね。

「80年代前半、中国に西側の思想や文化が一気になだれ込んだ。みんなスゴイと興奮した。当時は政府もその中身を選別し、検閲するいとまがなかったから、ある意味、いまより何でもありで自由だったかもしれない。ところが、事件後、政府による検閲と思想教育が新たに始まった。いまの中国の若い世代がやたらに愛国を振りかざすのも、その影響だと思わざるを得ない。すでに大人になっていたぼくらは文革時代を知っているので、またかと聞き流せるけど、教育の影響は時間がたってから無意識のうちに現れてくるものだと、最近の彼らを見ていると思う」

事件の現場を人民解放軍の側から撮影した中国政府による写真集『北京風波紀實』は同年8月、北京で出版された
事件の現場を人民解放軍の側から撮影した中国政府による写真集『北京風波紀實』は同年8月、北京で出版された

――当時の学生はその時期をどう過ごしていたのでしょうね。

「まあ、どこにいたかにもよるのだろうけど、北京にいたらさぞ鬱屈していただろう。でも、上海や広州などでは雰囲気が少し違ったかもしれない。さすがに政府もこのままではまずいと思ったようだ」

「よく中国人がいうのは、自分の右腕だった趙紫陽を切ったトウ小平は北京にいづらくなったから、南方に視察に行った。そこで出した声明が92年の『南巡講話』。『反文革派』のトウ小平がこのまま時代の揺り戻しをよしとするわけないから。そして徐々に経済改革を進めていくうちに、各地から民営企業が出てきた。西側諸国が経済制裁しても華僑がどんどん投資したので、94~95年頃から生活が楽になってきたと人々が感じるようになった」

――「中国が新しい段階に入った」といわれた頃ですね。

「そうこうしているうちに、海外からの留学帰りも増え、経済成長が着実なものとなっていった。こうなってくると、当初学生を応援していたぼくも、だんだん考えが変わってきた。国が安定しなければ発展はありえない。そうしなければ自由も何もない」

政府による事件の総括「反政府暴乱の平定に関する報告」(新星出版社 1989年)。内容はともかく、ひたすら乱暴でこなれない日本語で書かれているため、読むと気分が悪くなる。プロパガンダとしては逆効果か
政府による事件の総括「反政府暴乱の平定に関する報告」(新星出版社 1989年)。内容はともかく、ひたすら乱暴でこなれない日本語で書かれているため、読むと気分が悪くなる。プロパガンダとしては逆効果か

「いまの共産党は武力で勝ち取った政権。決してそれを手離すはずがないということを、当時のぼくらは熱に浮かされて忘れていたのかもしれない。中国の自由や民主は過激な手法を取ればかえって後退すると痛感した。だから、これからは漸進主義しかありえない。いまだから言えるけど、そういうことだとぼくは考えている」

 1990年代前半の中国は確かにそんな時代だった。90年アジアオリンピック大会が北京で開かれ、その10年後の記念すべき2000年にオリンピック開催をもくろんだものの、天安門事件の悪評がたたってか、シドニーに奪われ、大いに屈辱を味わった。ここはもう経済発展と秩序の安定しかない。こうしてこの時期、その後の方向づけが着実に決められていった。そして90年代半ば以降、中国社会は新しい段階に入った。

 話を聞きながら、1989年当時の筆者の思いも蘇ってきた。そもそも天安門広場に「自由の女神」が現れた(1989年5月31日)映像を見たとき、なんだかおかしな展開になったぞと思った。そこに人民解放軍の暴力に抵抗するシンボル的な意味がこめられたことは確かだろうが、どこか「借り物」感が漂ってはいなかったろうか。

事件当日、デモに参加していた学生に聞いてみる

 結局、彼らが何をやりたいのか、ずっとわからなかった。東京でデモに出かける知り合いの留学生たちを見ても、冷たいようだが、どこまで本気なのか。わかったような顔をするのもウソ臭いし、戸惑ったものだ。

 ふりかえってみれば、挫折の意味を彼らに聞くのも当時はせつない気がして、そのまま18年もたっていた。日本人にとっては、申し訳ないが、その程度のヒトゴトかもしれない。

 ひとつだけ確かなことがある。「官倒」こそ中国の永遠の課題であるということだ。

コメント3件コメント/レビュー

米国留学中、1989年の天安門事件の学生リーダーの一人と机を並べたことがあります。その人は言っちゃ悪いけどそんなに頭がいいというわけでも、リーダーの気質があるようにも思えませんでした。個人的に当時のことは興味を持って調べていましたが、調べれば調べるほど学生達が何を主張したかったのか良く分かりませんでした。はじめは汚職追放とか、教師の給料を上げろとか、そんな主張から始まったはずなのに。。。。米国に留学してその元リーダーに会って、当時の学生リーダーたちは誰かに良いように利用されていただけなんじゃないかと思ったりしました。もっとも、私も同年代なので当時のことを思い出すと何だか切ないですけれどね。(2007/02/23)

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いただいたコメント

米国留学中、1989年の天安門事件の学生リーダーの一人と机を並べたことがあります。その人は言っちゃ悪いけどそんなに頭がいいというわけでも、リーダーの気質があるようにも思えませんでした。個人的に当時のことは興味を持って調べていましたが、調べれば調べるほど学生達が何を主張したかったのか良く分かりませんでした。はじめは汚職追放とか、教師の給料を上げろとか、そんな主張から始まったはずなのに。。。。米国に留学してその元リーダーに会って、当時の学生リーダーたちは誰かに良いように利用されていただけなんじゃないかと思ったりしました。もっとも、私も同年代なので当時のことを思い出すと何だか切ないですけれどね。(2007/02/23)

ごめんなさい。天安門事件に対して、中国人ほどの思い入れがないので、途中で読むのをやめてしまいました。中国の人にはものすごい事件だったのだろうというのは感じました。(2007/02/22)

非常に参考になる、そのように読んでいます。私の中国経験では、中国では何でもありです。日本では、談合やサークル内を批判されても、現場では紹介がないと相手にしません。個人は無視される。 中国では、色々の規則があるでしょうが。個人と政権側とは、利益で共通化できます。その面から何でもあり気で面白い社会です。一方、日本は、官僚は、個人を相手にしない、紹介と談合でも、社会です、政権側は安定社会システムであるが。個人から見るとつまらないシステムです。中国も、日本も、結論的には国家あり気で政権維持をしている。 21世紀は民あり気社会を同維持するか。 中国で忘れてならないことは。軍があり、その下に国家あるということです。国家があり、その下に軍があるという考えでは中国は理解でいないでしょうね。 わたしは中国語はわかりませんから、見て、感じで、中国人と日常的に喧嘩して、感じていることです。(2007/02/19)

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