• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

沈むモールにぽつり輝く、名古屋の眼鏡屋さん

「オプティカ・スギウラ」の巻

  • 双里 大介

バックナンバー

2007年3月9日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 「メガネのスギウラ」は、淋しげなショッピングモールの一角にひっそりと佇んでいる。

名古屋市港区にある公団九番団地

名古屋市港区にある公団九番団地

「メガネのスギウラ(OPTICA SUGIURA(オプティカ・スギウラ))」

「メガネのスギウラ(OPTICA SUGIURA(オプティカ・スギウラ))」

店のPOPにはポルトガル語と日本語の文字が並ぶ

店のPOPにはポルトガル語と日本語の文字が並ぶ

 わずか10坪の小さな店。量販型のメガネストアに比べれば、品数は圧倒的に少ない。流行の商品が置いてあるわけでもない。だから、客が2~3人しか来ない日もある。それでも、杉浦和行(59)は白衣を着て、朝10時から夜7時まで律儀に店を開け続ける。

 「採算ギリギリ。儲かりません」と淡々と話す杉浦には、店を開け続けなければならない理由がある。その理由は、店のウインドウに貼られたPOPにも表れている。「メガネセット フレーム+レンズ 8000円」と日本語で書かれたPOPの上には、もうひとつのPOPが掲げられ、そこにはポルトガル語でこう書かれている。「ARMACAO+LENTES COM EXAME ¥8000」。

 メガメのスギウラには別名がある。「OPTICA SUGIURA(オプティカ・スギウラ)」。名古屋市港区にあるこのメガネ店は、顧客の約3分の2がブラジル人などの外国人だ。

 数カ月前にもこんなことがあった。請負会社の作業員として日本全国を転々としているブラジル人女性がいた。かつて名古屋で働いていた彼女は今、山梨県の製造メーカーで働いている。杉浦の店でメガネを作ったのは何年も前のことだった。

 しかし、彼女は遠方から新幹線を乗り継ぎ、店にやってきた。数万円の交通費をついやすくらいなら、山梨でも立派なメガネを作ることはできるだろう。でも、彼女は杉浦にメガネを作ってもらいたかった。

 名古屋市港区は、国際貿易港として日本経済を牽引する名古屋港を擁している。周辺には重化学工業地帯のほか、大小の自動車部品製造工場や金属工場、倉庫会社などが点在。中部圏の好況にともない、数年前からこの地域では、数多くの外国人労働者の姿を見かけるようになった。

杉浦氏が持つ2種類の名刺

杉浦氏が持つ2種類の名刺

ポルトガル語で接客中

ポルトガル語で接客中

「PERIGO!」ポルトガル語で書かれている団地内にある看板

「PERIGO!」ポルトガル語で書かれている団地内にある看板

九番街モールの様子。シャッターが閉まったままの店が多い

九番街モールの様子。シャッターが閉まったままの店が多い

 杉浦が店を開くショッピングモールも、港区の「公団九番団地」の1階にある。8階~14階建ての賃貸マンションが1号棟から8号棟までズラリと建ち並ぶ。請負会社や人材派遣会社が部屋ごと借り上げているケースが多く、保証人が不要である団地には、年々ブラジル人やペルー人の数が増え続けている。

 管理する都市再生機構・中部支社によれば、2005年3月末現在で総戸数1475戸数のうち、外国人世帯が483世帯で全体の32.7%を占めていた。しかし、2007年1月末現在、外国人世帯が563世帯、全体の38%を占めるまでになっている。

 九番団地の完成は昭和54年。ショッピングモール付きの大型団地は、当時はあこがれの眼差しを浴びていたに違いない。しかし、郊外に続々と大型ショッピングセンターができ、今はモールに目を向ける日本人はほとんどいない。団地は「すぐに買い物ができる便利な団地」から「外国人だらけの団地」として知られる存在となった。

 九番団地では、外国人との共生をめざしてさまざまな取り組みが行われているが、外国人の数が増えるのに反比例して「モール九番街」のシャッターは次々と降りていった。現在、モール内で営業している店は3分の1程度。ほとんどのシャッターは閉まったままであり、新しい店子が入る様子もない。

 杉浦がこのショッピングモールに店を開いたのは、8年前のことだ。

 父親は牛乳ビンの底のようなメガネをしていた。メガネなしでは生活ができない父の姿を見て、いつしか自然とこの道に進もうと決めていた。

 大学卒業後は、大手メガネチェーン店に就職。しかし4年で退社した。競争が激しかった。店長になるために、売上げをあげるために、誰もが野心をあらわにしていた。杉浦は辞めた理由の多くを語ろうとしない。ひとこと「人間関係」とだけつぶやいた。

 幼い頃から内向的だったという。高校は「親の期待に応えたくて」地域でも有数の進学校へ入学。しかし、本人いわく「ドロップアウトした」。ついていくことができなかった。「いい大学へ進学して、一流企業へ就職する」。進学校が持つ独特の熱と雰囲気に、杉浦はなじめなかった。

毎日、店内で1人、黙々と仕事をこなす

毎日、店内で1人、黙々と仕事をこなす

 何とか大学に入学はできた。期待とは程遠い大学だった。将来への希望も、やりたいことも思いつかない。杉浦は入学と同時にボクシング部へと入部した。その拳にどんな思いを込めたかったのだろう。強さへのあこがれか、それとも自分自身への怒りか。しかし、思いは途中で挫折した。1つの勝ち星も上げることができず、打ちのめされた杉浦は、2年でボクシング部を退部した。

 高校、大学、就職。常につきまとう競争と、それにともなう人間関係。大手メガネチェーン店を退社した杉浦は、商店街にある小さなメガネ店を転職先に選んだ。ちょうど心地のいい「サイズ」だった。過度な競争を強いられることもなく、人間関係のわずらわしさもない。杉浦はこの店に18年間勤務することになる。ようやく見つけた居場所だった。

 やがて到来したバブル経済。商店街にも外国人労働者の姿が目立つようになり、店にも外国人が訪れるようになっていた。

普段から使用しているポルトガル語の辞書。時に小説もポルトガル語で読み、ブラジル人との会話に役立てる

普段から使用しているポルトガル語の辞書。時に小説もポルトガル語で読み、ブラジル人との会話に役立てる

 「旅行に行く時の役にでも立てば」。ポルトガル語を勉強したいという友人の誘いで、30歳の頃から杉浦もたまたまポルトガル語を習いに出かけていた。趣味で勉強していたポルトガル語は、大いに仕事面でも役立つことになった。

 的確にフィットしたメガネを作るには、微妙なニュアンスのやりとりが必要となる。見えにくいのなら、どう見えにくいのか。感覚的な部分を具体的なカタチにしていかなければならない。言葉が理解できる杉浦の噂を聞きつけたブラジル人労働者が遠方からも足を運んできた。

 裏を返せば、それだけ外国人相手の商売を嫌がる店が多かったということだ。「金を払わない」「店の商品が盗られる」。実際にそのような目に合ったことがなくても、偏見と先入観で最初から外国人を拒否する店も少なくなかった。

コメント12

「ニッポン“働き者”列伝」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

意外なことに、伝統的な観光地が 訪日客の誘致に失敗するケースも 少なからず存在する。

高坂 晶子 日本総合研究所調査部主任研究員