• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

世界の匠になった義理人情の人(その1)

岡野工業代表社員・岡野雅行 ―― ソニーとの決別

  • 高橋 三千綱

バックナンバー

2007年3月9日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 岡野雅行さんは、いまや日本を代表する、世界の有名人である。

 なんといっても、NASA(米航空宇宙局)から直接仕事を依頼されることもあれば、米国防総省と共同で、レーザー反射鏡用のパラボラアンテナを開発したこともある。原子力発電所の、冷却用パイプの改良に成功したのも岡野さんである。それも、わずか6人の従業員しかいない町工場から、世界に向けて発信された、精巧な製品である。

岡野 雅行氏

岡野 雅行(おかの・まさゆき)氏

1933年東京都墨田区生まれ。72年に父親が創業した岡野金型製作所を継ぎ、岡野工業と社名を改める。「痛くない注射針」「リチウムイオン電池ケース」などを開発し、世界中の注目を浴びる。町工場にこだわり、自らを「代表社員」と名乗る

 そう書くと、なにやら国家的なプロジェクトに参加するのが、得意な人のように思えてしまうだろうが、事実はまったく逆だ。岡野さんを一躍有名にしたのは、大きな製品ではなく、リチウムイオン電池ケースなのである。

 かつての携帯電話は、スーツケースのような大きさで、しかも、電池が重くて、肩に担いでいると、骨のきしむ音が聞こえてくるほどだった。携帯電話を小型化するには、電池ケースを小さくする必要があった。だが、リチウムイオン電池でつなぎ目のあるケースを使うと、中身の電解液が漏れてしまうことがある。そのため、メーカー側とケースを製作する側で、たびたびトラブルが起きた。これを防ぐには、溶接ではなく、1枚のステンレスから、ケースを作ることが不可欠となった。

 いわゆる金型をつかって、電池ケース用に、ステンレスをプレス加工していくのである。これをつくれるのは、世界で唯一、岡野工業だけだった。このとき、会社の名前が先にひとり歩きしたが、実際に作ったのは、岡野雅行さんだった。

 1980年代後半であるから、当時、岡野さんは、50代半ばだった。その開発によって、携帯電話はどんどん手のひらサイズになっていった。携帯電話の小型化ができた背景には、町工場の工夫があったのである。

 それから、20年がたち、2月で岡野さんは74歳になった。しかし、いまだに現役バリバリの職人である。というより、ますます進化している。

 ご本人が「おれは職人だ」と言い張るので、私も職人という言葉を使っているが、そういう範疇にはとどめておけない人である。まず、これまでの実績はすごいものがある。しかし、その詳細を説明するのは大変なので、大雑把にいってしまうと、金型の魔術師であり、宇宙規模の発明家なのである。

 そして、その発明品や、そこまでいきつくための工夫や技術を、惜しげもなく、相手に教えてしまう、という大胆さも併せ持っている。

 「信頼した相手なら、工場を丸ごと与えてもいい。そうすることで、ものづくりの底上げになる。その上で、こちらもさらに進歩しようとする」

 と岡野さんはいっている。とにかく大胆な職人なのである。

 また、その一方で、これはと見込んだ技術力のある他の工場に、プレス加工のノウハウを、指導書と一緒に販売もしている。

コメント6

「珠玉の人生」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授