岡野雅行さんは、いまや日本を代表する、世界の有名人である。
なんといっても、NASA(米航空宇宙局)から直接仕事を依頼されることもあれば、米国防総省と共同で、レーザー反射鏡用のパラボラアンテナを開発したこともある。原子力発電所の、冷却用パイプの改良に成功したのも岡野さんである。それも、わずか6人の従業員しかいない町工場から、世界に向けて発信された、精巧な製品である。

岡野 雅行(おかの・まさゆき)氏
1933年東京都墨田区生まれ。72年に父親が創業した岡野金型製作所を継ぎ、岡野工業と社名を改める。「痛くない注射針」「リチウムイオン電池ケース」などを開発し、世界中の注目を浴びる。町工場にこだわり、自らを「代表社員」と名乗る
そう書くと、なにやら国家的なプロジェクトに参加するのが、得意な人のように思えてしまうだろうが、事実はまったく逆だ。岡野さんを一躍有名にしたのは、大きな製品ではなく、リチウムイオン電池ケースなのである。
かつての携帯電話は、スーツケースのような大きさで、しかも、電池が重くて、肩に担いでいると、骨のきしむ音が聞こえてくるほどだった。携帯電話を小型化するには、電池ケースを小さくする必要があった。だが、リチウムイオン電池でつなぎ目のあるケースを使うと、中身の電解液が漏れてしまうことがある。そのため、メーカー側とケースを製作する側で、たびたびトラブルが起きた。これを防ぐには、溶接ではなく、1枚のステンレスから、ケースを作ることが不可欠となった。
いわゆる金型をつかって、電池ケース用に、ステンレスをプレス加工していくのである。これをつくれるのは、世界で唯一、岡野工業だけだった。このとき、会社の名前が先にひとり歩きしたが、実際に作ったのは、岡野雅行さんだった。
1980年代後半であるから、当時、岡野さんは、50代半ばだった。その開発によって、携帯電話はどんどん手のひらサイズになっていった。携帯電話の小型化ができた背景には、町工場の工夫があったのである。
それから、20年がたち、2月で岡野さんは74歳になった。しかし、いまだに現役バリバリの職人である。というより、ますます進化している。
ご本人が「おれは職人だ」と言い張るので、私も職人という言葉を使っているが、そういう範疇にはとどめておけない人である。まず、これまでの実績はすごいものがある。しかし、その詳細を説明するのは大変なので、大雑把にいってしまうと、金型の魔術師であり、宇宙規模の発明家なのである。
そして、その発明品や、そこまでいきつくための工夫や技術を、惜しげもなく、相手に教えてしまう、という大胆さも併せ持っている。
「信頼した相手なら、工場を丸ごと与えてもいい。そうすることで、ものづくりの底上げになる。その上で、こちらもさらに進歩しようとする」
と岡野さんはいっている。とにかく大胆な職人なのである。
また、その一方で、これはと見込んだ技術力のある他の工場に、プレス加工のノウハウを、指導書と一緒に販売もしている。
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