私は講演をする場合、お客様が男性か女性かで話を変えている。女性向けの話は男性には理解されにくいし、本音を語るほどに反発されることも少なくない。男性向けも同様、女性からは「もっと本音を」という欲求不満が残る。結果、性別でテーマを変える方法が確立した。
その日の客席は、男女比がまったく半々だった。どちらに焦点を合わせるか思案する私に、主催者は「女性中心の話でお願いします。女性客には遙さんのファンが多いから」と私に言った。
私は主催者の要望に答えることにした。私が講演で女性に伝えるメッセージは単純だ。「結婚も仕事も、固定観念で生き方を決めず、自由に自分らしく生きましょう」というものだ。
講演が終わると質問タイムがもうけられた。客席から年配の男性がいぶかしげな表情で手を上げて言った。
「遙さんは、実は、本音のところは、結婚したいのではないですか?」
・・・私は1時間半にわたって、「結婚だけがすべてじゃない」というメッセージを届けた。その結果「でも本当は結婚したいんでしょ?」という感想に、ステージからマイク持ったまま落ちそうになった。
「今が幸せですよ」と答えると、「じゃ、あなたの話は“弁解”なのですね」と男性は言った。
弁解しつづけることで幸せになれるかどうかは私には分からない。しかし、講演は聞く側の聞き方によって、弁解にも聞こえ、屁理屈にも、自己弁護にも聞くことができる。
要は、そこからどの理屈を自分の使い勝手のよい理屈として盗むかだ。使い勝手のいい理屈なら、それが弁解であれ屁理屈であれ、今日から自分の武器として使える。
しかし、「しょせん弁解じゃないか」と聞いてしまえば、その人にとって1時間半は無駄だったことになる。おそらくは過去、その年配男性に異論を唱えた妻や女性部下たちもまた、「弁解だ」と切り捨てられてきたのだろうかと思いをめぐらせた。
次も男性が手を上げ不機嫌に反論した。
「遙さんの言うような男性ばかりじゃない」
いつ、誰が「すべての男性はダメ」と言ったというのだろう。私の講演は社会批判で、その社会の一員として男性も女性も批判する。しかし、それらの文脈から“男性が批判された”ことのみに敏感に反応する男性を見ると、過去、その男性を取り巻く多くの女性たちがどれほどその人の機嫌をとることに人生のパワーを使ってきたかが伺える。
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