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世界の匠になった義理人情の人(その7)

岡野工業代表社員・岡野雅行 ―― 夜の工場

  • 高橋 三千綱

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2007年4月20日(金)

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 金型も作るプレス屋をめざして、岡野雅行さんが、「夜の工場」をひとりでやっていたのは、29歳から39歳までの10年間だった。

 この10年間は、雌伏のときではあったが、この時代がなければ、世界の匠は生まれなかった。寝食を惜しんで、工夫を重ねては、没頭する日々だった。

 しかし、昼は父の工場で働いているのだから、プレス仕事の営業はできず、数年間は仕事も入ってこなかった。

 仕事にうねりが起きたのは、新しい旋盤を購入してからだった。32歳の雅行さんが目をつけたのは、金属加工機械メーカー、アマダの旋盤だった。父の工場にあったのは、モーターの動力をベルトを通して金型に伝えるもので、回転数が少ない。

 今後のことを考えると、どうしても直結型の旋盤が必要だった。1965(昭和40)年当時、それは1台75万円した。年収の倍以上だった。

岡野 雅行氏

岡野 雅行(おかの・まさゆき)氏


1933年東京都墨田区生まれ。72年に父親が創業した岡野金型製作所を継ぎ、岡野工業と社名を改める。「痛くない注射針」「リチウムイオン電池ケース」などを開発し、世界中の注目を浴びる。町工場にこだわり、自らを「代表社員」と名乗る

 岡野さんは、思い切って、アマダの城東営業所を訪ねて、所長に直談判した。

 「どうしても欲しいが、いまは30万円しかない。あとは月賦にしてもらえないか」

 おまえは一体、何者だ、と当時の所長の岡崎充さんは思ったようである。現金決済が常識のところへ、見知らぬ若者が来て、いきなりローンを組ませてくれというのだから、無理もない。当然、保留にした。

 そのとき、どうやら、岡野さんは、

 「父の工場で、夜もひとりでやっているので、きっとお金は返します」

 というようなことをいったらしい。数日後の深夜、所長の岡崎さんは、岡野金型製作所を覗いた。すると、ひとりで黙々と仕事している若者を見つけた。その姿に感銘を受けた岡崎さんは、最新型の旋盤を、60回払いの月賦で売ることを了承した。

 「おれは現金払い主義で、借りをつくるのはいやなんだ。もし、人からおごられるようなことがあれば、それ以上の物で返すよ。それが礼儀というものだ。でも、このときは、月賦にしてもらった。あとにも先にも、月賦でものを買ったのはそのときだけ。でも心配だったんだろうね。所長が、アマダの顧客から、金型の注文をとってきてくれたんだよ。ありがたかったね。所長は恩人だよ」

 この頃はまだ、プレス加工には手をつけていなかった。それに代わって、岡野さんは、それまであまり人が手をつけていなかった“プラント”に挑戦して、売りだすことを思いついた。

 それは、アマダ製のプレス機に、客先からの注文に合った金型を作って取り付け、さらに作業を自動化する設備を付けて、完全自動化プラントを作りあげることだった。

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