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ものづくりに斬り込む意志強固な人(その3)

サキコーポレーション社長・秋山咲恵 ―― 高等遊民へ

  • 高橋 三千綱

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2007年6月1日(金)

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 秋山咲恵さんが、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に入社したのは、1987年のことである。そこで働いたのは、足かけ5年。正味4年と数カ月だったが、充実した日々だった。

 外資系だけあって、やる気のある人には、男女関係なく、重要な仕事が与えられる。それに会社自体が若く、新しいので、ひとつのプロジェクトの先輩も後輩も、誰もが一から勉強し、研究するグループ態勢になっていた。

 「組織のあり方がどうだとか、そんなことを考える余裕がないくらいがむしゃらにやっていました」

 毎日、山のようにつまれた資料に、頭から突っ込んで格闘するような仕事ぶりだった。

 「最初に、私が入ったプロジェクトは、小さなところで、本当のスタートからみんなで始める感じだったんです。そこは、将来間違いなく大きなプロジェクトになるだろうと、期待される会社を担当するセクションで、顧客になっていただくために、関係する資料を集め、分析して、企画、提案してレポートにまとめるという仕事でした」

秋山 咲恵氏

秋山 咲恵(あきやま・さきえ)氏

1962年生まれ。奈良県出身。87年京都大学法学部卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に入社。94年、松下電器産業の研究者だった夫の秋山吉宏とともにサキコーポレーションを設立。代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)に就任。政府税制調査会委員、経済産業省の「中小企業政策審議会」委員などを歴任。

 このコンサルタント会社はうちの会社のことを相当分かっているな、ここを使えば、いずれは好業績に結びつくかもしれない、と相手の会社の幹部に思わせるのが、プロジェクトの戦略だった。

 だが、そういうのは簡単だが、コンサルティングをする相手の会社のことを、1週間かそこらで調べあげ、分析した上に、業務プロセスの改善を提案するのだから、神経のいる仕事だった。

 相手の中には、生意気なことをいっているが、うちの会社の実情など何もわかっとらんじゃないか、とコンサルタントの勉強不足をすぐに看破するところもある。しかも、勉強しただけでは、相手を説得して、コンサルタント料をとるまでにはいかない。

 咲恵さんは、主に金融機関やサービス業のクライアントを担当したが、自分では頑張っているつもりでも、肉体的にへこたれたり、いつのまにかストレスが溜まってしまって、どうにもならなくなるときがあった。

 そのつらい思いをぶつける相手は、夫の吉宏さんしかいない。咲恵さんは毎晩のように大阪に置いてきた夫に電話をかけた。

 「泣きながら、もうだめだとか、私にはこの仕事は向いてない、とかかなり壮絶な電話をしていたと思います。もちろん、冷静に話すこともあったんですが、そういう命の電話ができたから、相手がいたから、救われたんです」

 そのため、電話代が月に10万円を超えることが、何カ月も続いた。

 しかし、咲恵さんは逃げ出さなかった。逃げようと思うより、「働かなくちゃ」という、潜在的な脅迫的な観念に襲われていた。

 プロジェクトの構成は、業務関係のビジネスサイドの咲恵さんの上にマネジャーがひとり、技術サイドに若手スタッフひとりとマネジャーひとり、その上に統括のパートナーがひとりという、極めて少人数のプロジェクトだった。

 それも、同じスタッフで、違うクライアントを担当するのではなく、新しいプロジェクトができるたびにスタッフが変わる。あるスキルをもったプロのプレーヤーが、能力を最大に出し合い、ぶつかりあったあと、目的を達成すると、プロジェクトは解散する。

 まさに実力勝負だ。

 咲恵さんは、努力と成果が認められて、2年目には、ある公的金融機関を担当するプロジェクトに抜擢された。このシステムを構築するのは大変な作業だったが、咲恵さんはおよそ1年かけてやり抜いた。

 その間に、吉宏さんの状況に変化があった。大阪の松下電器の研究室で、先端技術の開発に携わっていた吉宏さんが、栃木県の工場で仕事をすることになったのだ。吉宏さんが開発した、オフィス機器の量産立ち上げのためだった。

 それまでは、疲れ切った身体で週末にはひとりで大阪に帰っていたのだが、夫の転勤で、単身赴任のふたりが、それぞれ平日は仕事して、金曜日の夜に東京駅でおちあって、ふたりで大坂の家に帰るようになった。

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