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それでもソニーで、「演歌」を作る

「ソニー・ミュージックエンタテインメント“演歌チーム”の巻」(前編)

  • 双里 大介

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2007年6月5日(火)

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 新しく脚光を浴びるものがあれば、一方で忘れ去られていくものもある。「時代は移り変わるものだから仕方ない」と人は言う。

 企業においても同じことが言えるだろう。先端を行き、会社の根幹を支える主流部門があれば、さほど注目されることもなく、ひっそりと続いている非主流部門もある。

 ソニー・ミュージックエンタテインメントは、日本屈指の規模と知名度を誇るレコードレーベル群だ。中でも「ソニー・ミュージックレコーズ」は、グループの長男的な存在として多様なアーティストを輩出。ORANGE RANGE、サンボマスター、YUI、伊藤由奈…ヒットチャートの上位を占める常連組も数多く所属している。

 売り上げの大半をJ-POPが占める中、“演歌”というジャンルに情熱を注ぎ続ける4人の男たちがいる。

ソニー演歌チームの4人。左から高木、栗田、星野、野村

ソニー演歌チームの4人。左から高木、栗田、星野、野村


 ソニー・ミュージックレコーズ内にある「ACルーム」は、アダルトコンテンポラリーを中心とした音楽制作を手がける部隊だ。このACルームでは、今も演歌を作り続けている。J-POPが揺るぎない主流部門だとすれば、演歌はその存続すら危ぶまれている非主流部門だ。

 ACルームの前身は「演歌制作部」。かつてはスタッフとアーティストを合わせて約50人のメンバーを有する大所帯だった。1970年代~80年代頃までは、主流とは呼べないまでも、日本人には欠かせない、なくしてはならない重要なジャンルとして認知されていた。

 しかし、90年代に入り、経済情勢の悪化は音楽業界にも大きな影響を及ぼす。「レコード(CD)が売れない」。90年代後半になると、経営陣は収益改善のためにアーティストの絞り込みを断行する。そのあおりを真っ先に受けたのが演歌制作部だった。

 所属していた20人のアーティストに対してリストラが行われた。残ったのは安定した人気を集めていた伍代夏子、藤あや子、石原詢子の3人のみ。スタッフの数も3人に大幅削減。1998年、演歌制作部はACルームに統合され、規模の縮小を余儀なくされた。

 現在も演歌のマーケットは縮小を続けている。2006年度の音楽業界全体のジャンル別売上数(オリコン調べ)は、J-POPが圧倒的なシェアを占めており、演歌のシェアはわずか2.7%。J-POPの何十分の一にしか過ぎない。

 19歳の時、アルバイトとして入社してから演歌ひと筋。制作ディレクターの栗田尚浩(45)には、忘れられない出来事がある。

 初めてディレクターとして担当したアーティストは、当時すでに高い人気を得ていた藤あや子だった。「自分が担当して売れなくなったら…」。栗田は相当なプレッシャーを感じていた。

藤あや子 「紅(べに)」

藤あや子 「紅(べに)」

 「1年かけて頑張ってみろ」という上司の励ましと、「一緒に頑張っていこうよ」と常に声を掛けてくれた藤の存在。栗田は「紅(べに)」というシングルを完成させた。

 栗田が初めて手がけたシングルが社内会議でプレゼンされた。精魂を込めた作品。しかし、会議で飛び交った意見は芳しくなかった。「こんなの売れない」。ネガティブな言葉がほとんどを占めた。

 しかし、会議での評判とはうらはらに「紅」は売れた。96年当時、日本レコード協会認定「ゴールドディスク」基準枚数は20万枚以上だったが、その水準をはるかに超え、50万枚の大ヒットとなる。そんなある日、会社の玄関口で栗田の肩をポンと叩く者がいた。「やったな。俺も売れると思っていたんだ」。その言葉に腰が抜けそうになった。会議で“売れない”と断言したはずの人物だったからだ。

 誰も歌の本質なんて見ようとしない。演歌はハナから売れないものと決めつけている。「自分はそういうところで仕事をしている。自分の仕事は人からそう思われている」ことを痛感した出来事だった。栗田は言う。

 「ソニーの中の弱小セクション。みんな心のどこかでなくなっても仕方ないと思っている。でも、自分までもがそう思ってしまったら、こんな辛い仕事はない。この出来事で雑念がなくなった。自分が置かれている立ち位置の中で、アーティストと一緒にいい歌をつくり続けていくしかないと思った」

 1曲の歌をつくることにおいて、弱小も何も関係ない。社内のパワーバランスに動じることなく、人のうつろいやすい意見に左右されることもなく、自分は自分の仕事をまっとうしようと腹を据えた。演歌が売れないことは知っている。だから何だというのだ。先行きが見えないことも分かっている。だからどうした。

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