すっかり耳に馴染んでいるのに、その意味を改めて尋ねられると、明確に答えられる人が少ない、そんな言葉にはだいたい、背後にメカニズムがあるもの。流行りもののカタカナ言葉やアルファベットには、とりわけ要注意です。
『CSR』も典型的ですね。コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ(Corporate Social Responsibility)「企業の社会責任」がいつの間にか日本で強調されるようになって、もう3〜4年が経過しています。確かに一種のブームにはなりました。さて、では、いま改めて職場の新人に質問されたとして、あなたならどう説明します?
「……それでCSRって、いったい何なんですか?」
CSRに関連して語られる言葉は、総じて極めて美しいですね。これがどうも胡散臭く見えるわけです。
ちょっとネットで検索してみても「コンプライアンス(法令順守)」「地域社会への貢献」「地球環境問題」なんて言葉から、「愛される企業へ」「CSRで企業価値を高める!」「競争力強化」まで、とても聞こえのよいフレーズのオンパレードです。
「なるほど、大変けっこうなことでんな」。誰も反対はしません。でも、お話が何かキレイすぎるのが気になりますね。
「環境問題でっか…、結構はけっこうやけど、ウチは会社で、慈善事業ならおかどちがいでっせ」。こういう反応も、いまもって珍しくありません。
あるいは、「おや、コンプライアンスでっか…でもねぇ、法律で縛られるのと、環境問題と、ひとくくりにされて『CSR』や、言われてもねえ…どうもピンときいしまへんなぁ…」。
誰が言い出したかよく分からないのに普及したCSR
そもそもどこの誰が言い出したのかよく分からないのに、いつの間にか普及していて、一見よさげな話、というのは、疑ってかかった方が、普通は身のためですよね。それがこの世の常というものでしょう。
いや、誤解のないように、最初に断っておきますが、CSR自体は非常に有効な仕組みです。もっとも、その効用を正しく理解して、フルに活用すれば、という話ですが。
問題は、日本企業がCSRの動機や狙い、あるいは言いだしっぺの当初の思惑と、時代の流れでそれが変化した経緯などを、どう理解して、きちんと利用できているかです。
そこで『なんとなく耳に馴染んだCSR』で思考を停止するのではなく、その源流に、少し深く分け入ってみたいと思うのです。
CSRという言葉を私が耳にするようになったのは2002〜03年にかけてです。2000年から大学に勤務するようになった私は、本部からの公務出張でIT(情報技術)関連の国際研究大学連携の会議に送られるようになりました。
そういう席で聞いた話の中で、もっとも私がスッキリ理解できた「CSRの源流」の一説を以下、ご紹介してみましょう。
ヴィリー・Bは、旧ユーゴスラビアで共産貴族の家に生まれました。現在は世界銀行に在籍しています。以下では、彼から聞いた話を私なりに整理してみます。ちょっと聞くと、スパイが暗躍しそうな「陰謀史観」みたいですが、実はなかなか、奥が深いです。
ヴィリー・BはCSRと環境問題を「欧州、ないし欧米多国籍企業の生存戦略シナリオ」の観点から説明してくれました。
新世界システムのグランドシナリオ
鎌倉、鶴岡八幡宮の境内を歩きながら、ヴィリー・Bはふと呟きました。
「冷戦末期の1980年代、東西の対立構造がなくなること自体が、ユーゴでは一大脅威そのものだったから…」
実際、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなど、バルカン半島が90年代に辿った歴史を考えれば、本当に大変だったろうと想像はつきます。
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