私は、あらゆる場で「公的サービスもマーケットメカニズムにもとづいて自由競争したほうがいい」と主張しています。一方、私のこうした主張に反発される方がいらっしゃいます。そういった人たちは「マーケットメカニズムにさらされると必ず格差が生じる」「アメリカの医療のように公的サービスが崩壊する」と反論し、「渡邉美樹という男は、ただのマーケット至上主義者にすぎない」と断じます。

ワタミ代表取締役社長・CEO 渡邊 美樹氏
ここで、はっきり申し上げたいのですが、私は資本主義市場経済を絶対的な原理だとはこれっぽっちも思っていません。もちろんマーケット至上主義者でもありません。あえていうなら、「消費者至上主義者」です。
私にとってマーケットメカニズムとは、サービスを通じてお客さまに幸せになっていただくための道具であり、より多くのお客さまからの「ありがとう」を集めるための手段にすぎません。
ですから「ありがとう」を集めるための手段としては、ボランティアでも、NPOでもいいのです。アメリカでは教会のチャリティーや各種の財団を通じて、毎年莫大な額の寄付が集まります。私自身も、発展途上国の子どもたちを救うためのNPOを主宰しています。
ただし、基本的にボランティアやNPOは社会的弱者や社会の不平等を救う一種のセーフティーネットの役割を果たすものです。
日本が資本主義市場経済社会国家である以上、もっともパフォーマンスの高い道具がマーケットメカニズムであるというのは、ゆるぎない事実でしょう。より優れた経済体制があるわけではないのですから、私たちはマーケットメカニズムをもっとうまく、もっと多くの人の幸せを生む道具になるよう使いこなしていくべきではないでしょうか。
そもそも、私を批判する人たちがなんとか維持しようとしている今の社会体制は、ほんとうに公平で平等で格差がないのでしょうか?
いたるところに、従来「公」の担い手だったはずの「官」=役所と「政」=政治家とが手を出し、口を挟み、自由な競争を阻害している社会。その仕組みの中にどっぷりと浸かった者だけが利益を得、一方で懸命に競い合い努力をしている人や企業が正当な果実を受け取れない社会。こちらのほうこそ、むしろ格差が固定化された歪んだ社会ではないでしょうか。
そして、「官」と「政」の支配による歪みがもっとも端的に表れているのが、本コラムで取り上げる公的サービスの分野なのです。
一例をあげましょう。
「経営が苦しくなる。公立の生徒の数を減らしてくれ」
私はいま、神奈川県の教育委員も務めており、私立学校と公立学校の定員について話し合うことがあります。そこでは、私学の側が「経営が苦しくなるので、公立はもっと生徒の定員を減らしてくれ」と主張しています。
最初、この会議に出たとき、私は話の意味がよくわかりませんでした。
私学だろうが公立だろうが、どちらに行こうがそれは子どもたちの自由じゃないですか。それなのに、なぜ、私学の要請に従って公立の定員を減らさなければならないのでしょう。しかも、「そんなに公立がいっぱい定員を取ってしまったら、私学は潰れてしまうじゃないか」という話までが飛び出す。
結果、こんな極論が出てくるわけです。
なるほど、学校というのは、たとえ私立と名がついていようが、実態は「官」や「政」の既得権益に守られた行政産業にすぎないのか。私はとてもいやな気分になりました。
しかも、この話にはおまけがあるのです。私学の要請に従って、公立側は生徒の定員は減らす。けれども、先生の数自体は減らさないというのです。
これはおかしい。生徒の人数が減るならば、先生の数も同時に減らしていかない限り人件費で学校経営は確実に圧迫されるからです。
なぜこういうことが起きるかというと、学校という組織には、本コラムの元になっている書籍『もう、国には頼らない。 経営力が社会を変える!』でくわしく記しているように、「経営」という概念がないからです。公立はもちろん、私学においてでもです。そのうえ、教師という職業は、公立か私立かを超えて利益を共有する身内同士です。結果、私学の要請で公立学校の生徒の定員だけが減り、先生の人数はそのまま。公立のほうでは人件費比率が上がって赤字がかさみ、私学も生徒数減少で経営が圧迫される。どちらの経営も苦しくなる一方、というわけです。
公立の組織が赤字になる、というのは、結局税金が無駄遣いされているわけです。
しかも、それを後押ししているのは、議員さんたちとお役人さんたち。いったい何のための政治か、いったい誰のための行政なのか。私は、教育委員会で、こう発言しました。
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