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CSR解体新書(4)国際化には規制がいる!

ネットバブル崩壊に間に合わせた欧州

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2007年7月23日(月)

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 「そこは通行禁止だ。罰金を払いなさい」。旧東ベルリンでいきなり警官に捕まったのは1983年の夏の事でした。「ただし、米ドル建てで払ってね」。

 東西ベルリンの通関ポイント「チェックポイント・チャーリー」で、1日東で過ごしたあと西側に戻ろうとしていた私は、ゲート前の直線道路で、不自然な迂回を強いるガードレールに出くわしました。

 「うざったい」。初めての留学でベルリンに来ていた18歳の私は迷わずそれを跨ぎました。目の前には国境税関が見えている。これを跨ぐなというほうが無理な相談です。

 すると、待っていたかのように警官たちがどやどやとやってきて、あっという間に私は取り囲まれてしまいました。そこで開口一番、警官から言われたのが「金を出せ」。

東側警察の不正に「それなら俺にも考えがある」

 いくら旧東側でも「米ドル指定」で公的な罰金を取るとは思えません。結局払った後に、受け取りも出してくれません。間違いなく東独警官どもの小遣い稼ぎだと思いましたが、向こうは一応武装した警官だし、逆らうこともできません。

 「お巡りが強盗かよ」と呆れました。額は忘れてしまいましたが、当時の私にとっては結構なお金で、「このやろう!」と思ったのは言うまでもありません。

 それまで私は、東ベルリンでは非合法換金は絶対してはいけない、危険だから、なんて聞かされていたのです。でも、アチラではお巡りサンが率先してそうくるというのなら、コチラにも考えがあるというものです。

 当時、西ベルリンに留学しておられた松下功さん(現・東京芸術大教授)宅に厄介になっていた私は、2日後、再び東側を、西独マルク(当時のD-Mark)や米ドルを少し多めに持って訪ねました。

 東ベルリン、ペルガモン美術館近くの公園に、それらしい人がいるなと思ったら、案の定つかつかと近づいて来ました。20代後半の男性です。

 どこから見ても東洋人の私は、明らかに西側からの旅行者ですから、のどから手が出るほど欲しい外貨を持っているはずです。

 「ペアゾーンリッヒカイト(個人的にうかがいたいんですが)…私は学生なのですが…」とかなんとか言いながら、換金を申し込まれました。

 「進んだ西側の参考書を買いたいのです。米ドルか西独マルクと換金してくれませんか?」。2日前にも同じように声をかけるひとがいたのですが、その時は敬遠したのです。が、今回は腹を据えています。「ハイハイ、どうぞどうぞ」と、当時の私としてはかなり大胆な換金に応じました。

10倍のレートで通貨を交換、大量のお土産を持ち帰る

 レートは10倍、つまり西側の1マルクで、10東独マルクが手に入りました。日本円にして数万円分を東独マルクに換金してやるよと言ったら、自称「学生」は喜びましたね。「ちょっと待って」と小躍りでどこかに姿を消し、数分後に再び、お金をもって現れました。 

 こんな具合で、大量の粗悪な紙とアルミ製の安っぽい東側通貨で一財産を手に入れた私は、手始めに昼食をできるだけ贅沢してみました。ところが注文した魚料理はべらぼうにまずく、値段は安く、数十万円相当も持っているお金はいくら散財しても、ちっとも減りません。

 まあ当初から計画していた通り、本屋や音楽店に入って、西では決して手に入らない東側の本やレコード、ソ連の楽譜などを大量に買い込み、最終的にはどうにか、すべての東独マルクを使い切りました。

 当時、正規の換金には限度額があったので、2日前には大した買い物はできなかったのですが、こっちもハイティーンで、ただでさえ生意気な盛りでしたし、さらにポリツァイ(警官)にアタマにきていたので、かなり無茶をしたものです。ハイティーンの暴走は恐ろしいものですね。24年も経っているので時効ということで告白したく思います。

 さて、東での半日を過ごし、両手に大荷物、どう見ても通常の買い物量でなくなってしまった私は、戻る際に2日前の轍は踏まぬよう、不自然なガードレールをしっかり迂回して税関まで戻ってきました。「チェックポイント・チャーリー」では書類に出鱈目な数字を書き、態度だけは堂々としていたところ、結局何一つ文句など言われませんでした。あっちも分かっているのです。

 (…これが東西冷戦というものか…)この経験は私の人生にとって決定的なものになりました。

24年前の経験が自分の人生を決定づけた

 当時私は、早世した親父の跡を継いで大学ではマル経(マルクス経済学)と近経(近代経済学)を混ぜたあたりを勉強しながら、西欧追随型でない日本人西欧音楽家になろう、と思っていたのです。岩井克人さんや西村和雄さんのクールな仕事ぶりに魅かれていて、そういう数理を理論的な参考にして、西欧の芸術音楽に切り込んでゆこうという計画でした。

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