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自分より給料が高い部下を育てよ!

~ワンビシアーカイブズ 星川恭治社長(1)

2007年10月9日(火)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語って頂くトークセッション「Road to CEO」。

 今回は、企業の書類や記録を預かって管理する情報マネジメントに特化したワンビシアーカイブズの社長、星川恭治氏をゲストに迎えた。

ワンビシアーカイブズ 星川恭治社長

 星川氏は大学卒業後、1971年にソニーに入社、工場経理業務の電算化に取り組み成功させるなど、経理マンとしての道を歩み続けた。1980年代後半~1990年代半ばにかけては、CBSレコードやコロンビア映画買収など、同社のコンテンツビジネス戦略に長く関わり、大賀典雄氏を始め、歴代トップのスタッフとして活躍。Sony Corporation of America上席副社長兼Sony Electoronics財務担当上席副社長などを歴任した後、1996年、アメリカの医薬品メーカー、バクスター日本法人のトップに招かれる。その後の2004年3月、経営再建を任されてワンビシアーカイブズに移り、改革の旗を振り続けている。

 在籍した26年の間のうち、実に17年は海外にいたというソニー時代のエピソードから、財務経営の一専門家から経営者になったバクスターでの貴重な経験、現在トップを務めるワンビシアーカイブズでの取り組みまで、存分に語っていただいた。

 司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会の理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に5回に分け、火曜・木曜日に掲載する。

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司会、山中(以下Y) 四国の新居浜でお育ちになって、横浜市立大学に行かれる。選んだ理由は何ですか。

星川 選ぶなんていうことは当時できませんで、そこしか通らなかったという。そもそも大学に行こうと思ったのは、生意気な次男坊でしたから、兄が大学に行って帰省するたびに、何となくちょっと大きく見えたんです。ああ、こんなになるんだったら、大学も行ってみたいなというのが1つの動機。それから、父親が勤めた財閥系の会社は、東大、京大卒でなければ人にあらず。父親は尋常小学校卒ですから、学歴の差だけで、あるところから上に行けないんです。ですから女1人男3人子供がいて、何としてでも男の子だけでも大学だけは出してやりたいという、親心のおかげです。

 当然私立は行けない、受けられる大学というと当時国立1期校と2期校と公立がありまして、その中の1つが横浜市大。学生時代は本気で理論経済学を極めたいと思っておりました。能力は別にして。こんな経緯です。

Y そしてソニーへ。1971年当時はどんなイメージの会社だったんでしょう。

 私は先輩の紹介で(ソニーを)受けて入社したんですけれども、わずか半月か、1カ月ぐらいたって、初めて売り上げが3000億円を越えたということで、半月分の特別ボーナスを全従業員に。何ていい会社に入ったんだろうと(笑)。そういう伸び盛りの会社でした。

ソニーでも初、工場経理の電算化に挑戦

Y ソニーはトリニトロンを1968年に発表し、69年にUマチックという、今もまだ使われているテレビ放送のビデオ編集システムを開発して、70年にニューヨーク証券取引所に上場。急成長に伴って、米国とのかかわりがいろいろ浮上してきた頃ですね。

 盛田(昭夫)さんはエンジニアリングの出身ですけれども、必死に会社経営を勉強され、当時の日本の成長企業だったら必要なお金は銀行から借りるという時代に、直接金融、要するにNY株式市場に行って上場するとか、コマーシャルペーパーを発行するとか、また日本でも時価発行増資等を実践された。そういう大胆な財務戦略を取れたのも、既成概念にとらわれず、いいものはいいという信念が背景にあったと思います。

Y そういったイメージも、ソニーを選ばれた理由にはありましたか。

 いえいえ。もう単純にものづくりが好きで、就職するのであればメーカーに行きたいと、それだけの理由でした。一生工場勤めするつもりで入りました。

Y それが経理の道に。どういうことで?

 僕はエンジニアではありませんから、最初に配属されたのが3000人規模の工場の原価管理、事業計画といった領域で、御茶ノ水の経理学校に夜通いながら、経理のAから勉強したんです。

Y そこで大変尊敬できる上司に出会われたんですね。

 最初の4年間で4人の課長と仕事を一緒にする機会があったんです。そのうちの御一人が、当時36歳で、私が23~24歳。「星川君」と呼ばれて、「この工場の経理業務を、コンピューターに全部載せたいんだ」と。まだ全部そろばん時代ですよ。当然、私は「やり方を知りません」というと、

 「いや君、若いんだからどんどん勉強すればいい」と言って、IBMのシステムエンジニア(SE)の方を呼んでくれ、マンツーマンで教わりました。昼間は原価計算をして、夜その方に教わって、4人のチームをつくって、やってみたらできちゃったんです。

Y ほう。当時で電算化とは画期的ですね。

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「自分より給料が高い部下を育てよ!」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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