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書店革命に挑む不思議な魅力の人
(最終回)

ジュンク堂書店社長・工藤恭孝――したたかな笑み

  • 高橋 三千綱

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2007年10月5日(金)

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「98年からの2年間が一番苦しかった」

 そう工藤さんは述懐する。1997年8月に1000坪の池袋店を開店した日、裏のホテルが倒産した。そこも池袋店の地主が買い取るという。そう聞いて工藤さんは、すぐさま、そこも借りて、2000坪の書店に増床することを決意する。地主と契約を結んだが、銀行からはこれ以上、資金は貸せないといわれる。採算度外視の増床だというのである。

「銀行を口説くのに、1年半かかりました。もう、無理矢理黒字にしたんです」

 社員のボーナスをカットした。難波店では、家賃を値切った。

 「敷金を返せともいいました」

工藤 恭孝(くどう・やすたか)氏

工藤 恭孝(くどう・やすたか)氏
1950年兵庫県出身。72年に立命館大学法学部を卒業後、父親が経営していた書籍取次店のキクヤ図書販売に入社。76年にジュンク堂書店を設立し、社長に就任。現在、大型店舗を中心に鹿児島から盛岡まで全国で27店舗を展開している。

 ぎりぎり黒字にしたが、それでも銀行は貸さないという。3年間の試算表を出すようにともいわれた。

「そういわれても、見込みはたたない。計画表はねつ造して、銀行とは喧嘩腰で交渉しましたよ」

 地主との契約を守らなければ、莫大なキャンセル料を支払わなければならない。

 「それを銀行に請求してやる、ともいいました」

 脅しが利いた。タイムリミットぎりぎりの1年半でついに銀行は貸し出しを了承したのである。すぐさま工事に着工した。

 2001年の3月、池袋店は、2000坪の店となって開店した。この頃には、難波店をはじめとする店の売り上げが順調に伸び、ジュンク堂は債務超過を脱している。

 池袋店がリニューアルオープンすると同時期に、日比谷のプレスセンターに150坪の店を開いた。そこはかって丸善が入店していたところだ。

 「うちは中型店はやらないと断ったのですが、仲に入った方が、顔をたててくれといわれて、まあ、おっちょこちょいだから、やることになってしまって」

 だが、困ったことに、中型店の店長経験者がいなかった。それに社員の誰もいきたがらない。

「どうしたものかと思っているとき、ふと気がついたら、女房がいたんですね」

 息子さんの中学受験のために、東京に出ていた泰子夫人が目についた。

「君、暇か、店番やらへんか、といったら、えっ? と驚いていました」

 そのまま泰子夫人は、6年間店長をやっている。昼の2時間で、ほとんど1日分の売り上げを稼ぎ出す。月1600万円の売り上げ目標で始めたものが、すぐに2000万円を超すようになった。

「帝国ホテルのレストランで昼食が食べられる、と思っていたのに、実際は事務所でお弁当です」

 と泰子夫人。そろそろ芦屋に戻ろうか、思案中である。

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