通貨偽造の罪に対する刑罰、最高刑は「無期懲役」と前回ご紹介しました。その量刑はいま、本当に妥当なのか?
もしかすると21世紀の今日、そういう責任を問われそうな人が、小菅の拘置所より、むしろ六本木ヒルズあたりにたくさんおられるかもしれませんよ。
その社会的責任は?
というのが、今回のお話です。
そもそも通貨の偽造とは何なのか
前回、この連載が始まって以来最大の反響と多数のコメントを頂きました。心からお礼を申し上げます。寄せられたコメントから、改めて、NBオンラインは信頼すべき読者に支えられていると、強く感じました。
今後も引き続き、できるだけ平易な表現を取りながら、同時に内容的には一切値引きのない記事を書いてゆきたいと思っています。
前回は「円天詐欺は貨幣偽造罪か?」という問いを立てて、問題の所在を明確化しようとしました。
ここからもう一歩進んで、より一般的な観点に立って「電子マネー」はどこまで「お金」なのか、その偽造は(刑罰はさておくとして)「通貨の偽造」になっていないか、そもそも通貨の偽造とは何なのか、源流に遡って考えてみたいと思います。
詐欺師と被害者の間に存在する「バカの壁」
私たちの日常生活に「本物のお金」が占める割合は加速度的に減少しています。電車に乗るのも定期やカード。私が大学からもらう俸給も銀行振り込みで、お札や硬貨で給料をもらったことはありません。
つまり情報機器を通じてサラリーを受け取っているわけです。ちょっとまとまった金額の買い物ではクレジットカードを使います。品物は即日、家に持って帰ってくるけれど、現金は一切介在しない。
とりわけ米国で生活していると、朝から晩まで完全に「キャッシュレス」であることが少なくありません。
「お金」が「情報」としての属性を持ち、情報機器を通じてやり取りできるというのは、このように今日の社会生活の現実が示す通りです。ところが、わざわざ改めて「お金は情報だ!」なんて書くと、「それは違う」という意見をたくさん頂きます。
なぜでしょうか?
それはその言葉の定義や理解をめぐる違い、すなわち先週「コード」とか「コーディング」という言葉で平易に導入した部分の理解に差があるために、「ズレ」が生じることが多いように思います。
そこで、こうした「言葉によるコミュニケーションのズレ」を端的に示す、養老孟司先生の「バカの壁」をモデルに、この問題自体を、情報理論で考えてみたいと思います。
誤解のないように最初に申しますが「バカ」という言葉がついていますが、これは養老先生の表現で、ここでは、誰かがバカだとか、そんなつもりはありません。
例えば、養老先生ご自身からして「情報」という言葉を「データ」の意味で使っておられます。言うまでもなく当然ながら、恩師というべき養老先生をバカ呼ばわりするつもりなどないですし、実際あれだけ「地アタマ」のイイひとは、東大教授でもなかなか居ません。
一般に医学・遺伝学関連の方は「遺伝情報」「ゲノム情報」など、「情報」という言葉で「データ」を指すことに慣れています。そうすると、情報通信理論での「情報」とは言葉の上の「ズレ」が生じる。当然です。その「ズレ」を問題にしたいのです。
というのもこの「ズレ」実は詐欺師と被害者の両者を分け隔てているのも「バカの壁」と同じものだからなのです。
「バカの壁」は「情報」でできている
ちょうど20年前、大学祭の委員だった私は、当時解剖学教室の教授だった養老孟司先生に学園祭のイベントに出演していただいたことがありました。
養老先生は「『国民皆解剖』の制度でも導入されて、あらゆる人が解剖学を学んだら、世間はオトナになると思うなぁ」などとおっしゃいながら、標本室を案内してくださったり、解剖学の初歩的な考え方を、物理学生だった私にも分かりやすく、丁寧に教えてくださいました。
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