何かを表現し、形にして世に送り出す時、必ず後ろ髪を引かれる思いがある。完全にすべてが終わった形で出て行くことはありえない。直したいところやもっと考えたいところがあるはずだ。
おそらくモノが完成して世に出て行くときには、生命活動と同じように必ず命の残り火がある。その残り火が完全に消えた状態で出て行くことはほとんどない。残り火があるというのは、それについて考えればまだ変化する可能性があるということだ。しかし、とりあえずは送り出して、サヨナラする、区切りをつける。そこで1つ生命が消える感じがある。
この「別れる」ということが、科学の領域においては非常に重要なことで、それができるかどうかが「プロ」としての分かれ目だとさえ思う。多くの研究者は論文にできずにぐずぐずと問題をいつまでも持ち続けてしまう。
「サヨナラダケガ人生ダ」という井伏鱒二の詩の翻訳の言葉があるが、これがクリエーターの極意に通じる。
今回お話を伺ったのは、浦沢直樹さんの作品など、大ヒットした漫画を世に送り出してきた編集者・原作者の長崎尚志さんだ。クリエーターの真髄に触れる深いお話を伺うことができた。
長崎さんは、過去にやったことや過去の栄光などにとらわれないで、「忘れる」ことが大事だと言う。それはすごく実感のこもった言葉だった。もう二度とできないと思えるような良い仕事をした後でさえも、あえて過去の栄光を振り返らない。
それを実際にやっている長崎さんには、ある種、凛と張りつめた厳しさがある。ああいう表情を持った人はなかなかいない。
不器用のすすめ
良い作品を生み出すために欠かせない「覚悟」を、長崎さんは「今の自分にはこれしかない」と思うことだと言う。これはどんな仕事でも大事なことだ。無いものねだりをしてはいけない。
それは研究でも同じで、学会の発表前に理想の状態を思い描いて、あれが足りない、これが足りないなどと思ってしまう。しかし本来は逆なんだ。今あるもの、いま持っているデータや素材からスタートして、それをどう最大限に生かせるかを考えないといけない。
自分の「持っているもの」も「持っていないもの」も、あるがままにきちんと見つめることで、自己表現ができ創造性が生まれる。こうした姿勢のことを長崎さんは「不器用」と表現されていた。
いまの世の中はIT化に象徴されるように、フレキシブルに変化して器用に時代の流れに対応する方が良いと思われている。逆に長崎さんの言うように「不器用であること」は、変化が激しい時代においてこそ大事なことなんではないかと最近思っている。物事の本質はそう変わらない。
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