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我儘を売りにできる創作料理旺盛な人
(その3)

ひらまつ社長・平松宏之――フランスでの修業

  • 高橋 三千綱

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2007年11月9日(金)

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 最初の修業店である赤坂の「ラ・フォンテーヌ」で2年間働いたあと、平松宏之さんは、YMCA国際ホテル専門学校に入学する。将来店を持つからには、レストラン経営学を学ぶ必要がある、と考えたからだ。

 蛇足だが、この頃、将来の妻となる、慶子さんと出会っている。慶子さんはいつかフランス料理店をやるんだ、という平松さんの強い夢を何度となく聞かされたことだろう。彼女は学習院短大に通っていたのだが、平松さんと付き合うようになってから、フランス語を学ぶようになったという。

 平松さんは、夜は、ホテルオークラで、サービス人として働くことになった。これはサービス部門の部長をしていた橋本保雄氏の温情によって、昼は学校、夜はオークラで働くことが許されたのだ。  ただし、平松さんとしては、調理場に入りたかったのだが、それは叶わなかった。

平松 宏之(ひらまつ・ひろゆき)

平松 宏之(ひらまつ・ひろゆき)
1952年横浜市生まれ。本名、博利。高校卒業後、72年東京YMCA国際ホテル専門学校入学。同時にホテルオークラ入社。82年、東京・西麻布に「ひらまつ亭」開業。2001年パリに出店し、翌年「ミシュラン」1つ星を獲得。レストランやカフェを運営する「ひらまつ」は04年東証二部に上場した。

 しかし、メインダイニング「ラ・ベル・エポック」での仕事は、平松さんに、サービスの大切さを植え付けた。フランス料理には、料理人だけでなく、お客さんとの交流を図る、サービス人の真心こそが大切なのだと、ラ・ベル・エポックでは学んだ。 それに、料理を運びながら、フランス料理の巨匠、ドラベーヌのつくり出す美しい料理に目を奪われていた。
 美しさだけではなかった。ここでは、それまでメニューの中でしか知らなかった、トリュフやフォアグラの味との衝撃の出合いもしている。本物のおいしさに平松さんは驚嘆した。

 2年後、YMCAを卒業すると、オークラの正社員に登用された。今度は希望が通って調理場に配属された。何十人の調理人の一番下からのスタートである。
 意欲に燃えて入った調理場だったが、結果からいうと、わずか2年でやめている。

 「社員は8時間を超えて仕事をしてはならない、という規定があった。しかし、限られた時間の中では、仕事を覚えることはできなかった。残業代なんかいらないから、思う存分仕事がしたかった」

 それで平松さんはオークラをやめて、六本木にある本格的フランス料理店「レ・ジャンス」に移った。ここにはフランス料理を学びたいという若者が、あらゆるところから集まってきて、シェフのつくり出すカエル料理などを、どん欲な眼差しでみつめていた。
 平松さんも、彼らに負けずに修業にはげんだ。ここでは、深夜すぎまで働いていても、とがめる者はだれもいなかった。

 2年後、25歳になった平松さんはここをやめる。どうも、平松さんは、2年という区切りが好きなようだ。ともあれ、いよいよ、念願のフランス修業の時期がきたと悟ったのである。30歳までに店を出すのなら、今フランスにいくしかないと決意したのだ。

 79年の6月、平松さんはフランスのシャルル・ド・ゴール空港に降り立つ。パリで1泊し、翌朝、紹介のあったナントの料理店に向けて汽車に乗った。のどかな田園風景を眺めながら、これからのことをあれこれ考えていた。5時間後、ナントの駅についた。そこは緑ゆたかな町だった。

 修業先は2つ星のレストラン・デルファンだったが、料理人に空きがなかったため、3ヶ月間だけ、同じナントにあるホテル・フランテルで働くようにいわれた。
 ここのシェフ、ポール=ポベール氏との出会いがなかったら、平松さんのフランス料理修業はもう少し違ったものになっていたかもしれない。
 ポール氏は日本からきた青年に対して、他の料理人とわけへだてなく、親切に接してくれた。フォアグラの血管処理も満足にできない日本青年を、なごやかな目で見つめて育ててくれたのである。
 他の料理人も、東洋の青年にたいして、おおらかであけっぴろげで、差別するようなことはまったくなかった。休日にはみなで映画を見にいくこともあった。

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