「珠玉の人生」

我儘を売りにできる創作料理旺盛な人
(最終回)

株式会社ひらまつ社長・平松宏之――経営者の顔を持つシェフへ

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2007年12月21日(金)

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 最初の広尾、そして、表参道、原宿の3つのカフェの大成功で、株式会社ひらまつは、財政的な経営基盤を得た。東京中にカフェブームが起き、それは飽和状態のようにも見えたが、平松さんは、あくまでも、自分のつくるカフェこそ本物だ、という信念で、つぎつぎに新店舗を開拓していった。そこには、料理人の顔はみえず、気合いと情熱に押された、経営者の計算が働いていた。

平松 宏之(ひらまつ・ひろゆき)

平松 宏之(ひらまつ・ひろゆき)
1952年横浜市生まれ。本名、博利。高校卒業後、72年東京YMCA国際ホテル専門学校入学。同時にホテルオークラ入社。82年、東京・西麻布に「ひらまつ亭」開業。2001年パリに出店し、翌年「ミシュラン」1つ星を獲得。レストランやカフェを運営する「ひらまつ」は04年東証二部に上場した。

 原宿の「メゾン・ド・オペラ」開店から、わずか3カ月後の95年11月、六本木にカフェレストラン「アポリネール」を開店。翌年96年3月には、オンラインカフェを西麻布に開店し、「ひらまつが何故、オンラインカフェなの」、と古くからの常連を唖然とさせた。

 96年9月、赤坂に開店した「メゾン・ド・アンシー」はフランスの田舎貴族の館をイメージした造りにして、調理人以外はすべて女性スタッフを雇って、運営させた。

 97年4月には恵比寿に「エピドルレアン」という新しいブランドのチェーン店、第1号店を開店した。これは、サンドイッチの店だった。関東で50店舗つくるとぶちあげたが、この試みは、のち失敗に終わる。

 平松さんが

 「随分いろんな店をやりましたよ。だめになって閉店したのも多いんです。あ、パン屋をやったこともあった」

 と照れた様子で語ったのが、この店である。

 「このとき考えていたのが、ぼくはいま、ウルトラCかけて宙を回っていると。でも、これはニッチの世界でしかない。それで着地で失敗したら何も意味がない。だから、ここできっちりしたレストランをつくらなくてはいけない、と」

 そこでつくったのが、四天王のひとり、阿曽達治をシェフとしたイタリアンレストラン「レストランASO」である。ここには、カフェも置き、結婚式もできるようにした。そうしながらも、翌月、デザートカフェ「イグレック」を広尾と横浜に開店させるという、早業である。

 さらに98年4月には代官山に、午後6時から翌朝3時まで開いているフランス料理基調のレストラン「シンポジオン」を開店した。メニューは平松さん自身がてがけた。

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人間の本質を観察し続けてきた純文学作家による経営者列伝をお届けします。芥川賞作家のフィルターを通した経営者の「珠玉の人生」。そこから見えてくるのは、これまでの経済ジャーナリズムとはひと味違う、新しい世の変革の姿です。

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