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偏差値55人間が進んだ社長への道

~楽天野球団 オーナー兼社長 島田亨氏(1)

2008年2月19日(火)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語って頂くトークセッション「Road to CEO」。今回は、楽天野球団社長の島田亨氏をゲストに迎えた。氏は東海大学文学部を卒業後、リクルートに入社、早々に営業成績で全国トップに輝くなどして活躍。1989年には宇野康秀氏(現USEN社長)らとインテリジェンスを創業、1995年同社取締役副社長に就任した。

楽天野球団 オーナー兼社長 島田亨氏

 ところが2000年の上場を待たずに同社を離れ、いくつかの企業で経営に参加しつつ、投資家活動も行っていたところ、2004年10月、楽天野球団に迎えられ、副社長を経て代表取締役社長に就任、2008年からは三木谷氏に代わり、同球団のオーナーも務めている。

 苦学生だった高校時代の話から始まり、リクルート入社のいきさつやインテリジェンス創業の裏話、三木谷氏からじきじきにスカウトされた顛末、さらには初年度の田尾監督解任騒動、今後10年かけて楽天を優勝させる戦略まで、時間いっぱい、余すところなく語っていただいた。

 司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に5回に分け、火・木曜日に掲載する。

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司会、山中(以下Y) 球団の社長になる、というと、昔、野球少年だったりとか、「巨人の星」の大ファンだったりとか。

島田 いえいえ、僕は完全なスケボー少年です。

 野球は草野球程度という。スケートボード、サーフィン、ローラースケート、アイススケート、スキー、水上スキー、滑り物が多いですね。あとはタケノコ族ですね。

Y タケノコ族とは懐かしいですね。本当に原宿でラジカセを鳴らして踊っていたんですか。

島田 はい。

Y 遊ぶことに関しては、何が一番楽しかったですか。

島田 スケートボード、ああ、サーフィンが面白かったですかね。

Y チームでやるというよりは、1人でおやりになる方がお好きだったんですか。

島田 基本的に、1人でできる方が好きなんだと思います。

Y 「社長になりたい」という思いが、早くからおありだったとか。

島田 なろうと思ったのは高2ぐらいです。

Y おお。

島田 僕のおやじが脱サラをして事業を始めたんですけど、連帯保証に2度ぐらい引っ掛かって借金をこさえて蒸発しちゃったんです。大変経済的に苦しい家庭になって。幸いぐれることなく、エネルギーがプラスの方に働いたので。

 世の中というのは、誰も最終的には助けてくれない。自分で生きていく力を付けないとだめだと強く思った時期があって。「そうすると、自分でお金を稼がなきゃ」という単純な発想から、「社長にならなきゃ」と思っていました。

リクルートで「圧倒的に勝つ」

Y 大学は東海大の文学部広報科を選ばれるんですけれども、広報科というのは何を学ぶところなんでしょうか。

島田 簡単にいうとマスコミと社会学の勉強でした。その学科が面白くて勉強したわけじゃなくて。高校時代も働いていたものですから、大学で4年あるうちの2年間は自分の好きな時間に使おうと。社会人になったらまた働かなければいけないので。だから最初の1~2年で大学の4年間の単位を全部取ろうというのが目標だったんです。

Y 取ろうと思って、取れるものなんですか。

島田 ほとんど取れました。大学3年のときは週に1時間だけ、4年のときには週1時間プラス卒論だけだったので、もうほとんど学校へ行かず。

Y それで、何をなさって。

島田 3年からリクルートでアルバイトを始めました。就職が厳しいわけです。短絡的な発想ですけど、その当時、就職関係の情報が世の中で一番早く入る会社ってどこだろうと思ったらリクルートだったんです。

Y なるほど。そして1987年の4月にリクルートに入社。

島田 積極的に選んだんです。大学3年からは電通から奨学金をもらっていたので、電通に顔を出しているうちに「面白い会社だ」と思ったりして。最終的には電通とIBMと、コンピューターサービス株式会社という、まだCSKに社名変更する前の会社と、あとリクルートから内定をもらいまして。

Y 電通から内定をもらったんですか。普通、そこで終わりにしませんか。

電通を蹴って「Road to CEO」へ進む

島田 ただ、「何で就職するんだろう」という原点に立ち戻る機会があったんです。そこで、高校2年のとき、(自分は)社長になるんだと思っていたことを思い出したわけです。

 社長になるとか、事業を起こすにはいろいろなアプローチの仕方がある。たとえば、自分が優れた技術者だと思えば、会社を興すこともできるでしょう。僕の場合、技術もない、金もない、セールスやマーケティング的なものは少しできるかな、ということで、「優秀なアントレプレナーシップを持った人たちが多くいるところに行って仲間になってやるのが一番いいんだ」という他力本願で考えると、リクルートが一番面白かった。

司会、秋山(以下A) 私は実は同期入社なんです。ちょっと解説を加えますと、私たちが入ったときは、リクルート、同期が800人いたんです。

島田 そうです。大卒が400人ぐらいでしたよね。

A 変な会社で、自分なりにこれはいけると思って会社をつくって出たやつが一番偉いという、そういう会社だったんですね。

 仕事をしている中でベンチャー企業のトップとお会いすることが多いので、その片腕になってその会社をもり立てていくやつ、これが2番目に偉い。

 私はそうだったんですけど、自分1人、例えばデザイナーとしてプロになるとか、いわば企画のプロになるとか、こういうのが3番目で、4番目に、かなりもう尊敬されない感じになるんですけど、入って何年かして大企業に転職するやつ。最も尊敬されないのは会社に居続けるやつと、そういう「士農工商文化」があったので、補足しておきます。

Y 社長になろうと思ってリクルートに入ったと。普通の会社員とは心の持ち方とか働き方が違うわけですか。

島田 まあ、会社員という意識では働いてはいないですね。

 社長になるんだったら誰よりも売れて当たり前だろう、というところから始まりますから。営業成績を出すにしても単に1番じゃなくて。その当時よく使われた言葉が「圧倒的に勝つ」。そのためには何をしなければいけないか、どれぐらい差をつけなければいけないのか、そういうことを考えて仕事をしました。

Y ご自身、どんな感じでお仕事をされたんですか。

島田 1年目でトップを取ったと思いましたけど。

Y どんなお仕事で。

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「偏差値55人間が進んだ社長への道」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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川野 幸夫 ヤオコー会長