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キャリアは作るな、巡り合いに賭けよ

~日本マクドナルド 会長兼社長 原田泳幸氏(1)

2008年3月25日(火)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語って頂くトークセッション「Road to CEO」。今回は、マクドナルドの原田泳幸氏をゲストに迎えた。

日本マクドナルド原田会長兼社長

 原田氏は大学卒業後、日本NCRにエンジニアとして入社、以後、横河ヒューレットパッカード、フランス系のシュルンベルジェグループと一貫してエンジニア畑を歩み続けた。同グループで日本法人立ち上げの仕事に関わったため、経営全般も手がけるようになり、それがきっかけで、アップルに招かれ、1997年に社長に就任している。

 暫定CEOのスティーブ・ジョブズとともに改革の大鉈を振るい、マイクロソフトの後塵を拝していた同社の建て直しに成功、2004年には「マックからマックへ」、日本マクドナルドの社長に就任。ここでもV字回復を成し遂げている。

 ミュージシャンを目指していた大学時代の話から始まり、勉強と修行の時代だったという日本NCRでの逸話、流通機構の大変革に取り組み、「iMac」のブランド戦略を成功させたアップル時代の内幕話、100円マック、24時間営業といったイノベーションと業績回復の双方を成し遂げた、現在進行形の今のマクドナルドの戦略まで、縦横無尽に語っていただいた。

 今回の司会はリクルートエグゼクティブエージェントの井上和幸氏が担当。テーマ別に5回に分け、火・木曜日に掲載する。

(このインタビューは昨年行われたものです)

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司会、井上(以下I) アップル時代の業績向上とか、最近のマクドナルド社のV字回復を生み出された経営に関して、今日はじっくりお伺いしたいと思います。1948年に長崎で生まれて、東海大学工学部ご卒業ということですけど、工学部に行かれた理由は?

原田 高校のときはまじめに勉強して、数学と物理は得意だったんです。でも、先生とケンカして白紙で答案を出しまして。ちょっと成績がよくなると、「どこどこの何々学部へ行け」、ちょっと月例テストで成績が落ちると、「どこどこの何々学部へ行け」と言うわけですよ。

 学部が違ったら全く世界が違うじゃないですか。そういう先生の指導に反発しまして、「分かった」と。東京の学校に行って、親と離れようと思ってまず目にとまったのが東海大学で、そこに行きました。今から考えたら若気の至りで、先生の言う通りやっていればよかったなと思うこともありますけど、まあ、それも人生ですから。

I それで、工学部を出られて最初に日本NCRへ入社されるのですが、これはどういった経緯で?

原田 これも本当に恥ずかしい話ですけど、大学4年間ほとんど勉強していません。本当にミュージシャンになろうと思って、音楽しかやってなかった。それと、自分でアルバイトをずっとやっていました。初任給は5万4600円でしたが、学生時代、自分で月に25万円ぐらい稼いでいました。

I それはバンド活動が中心で。

原田 バンドでは金にならないので、それ以外ですね。ほとんど勉強していなかったので、ペーパーテストがない会社を選んだら、ある新聞社が筆記試験なしと書いてあったので受けに行って受かりましてね。受かって喜んでいたら、夏休みに「新聞配達をやれ」と言うので、それは変な会社だと思っていたら、自分のアパートの近くにNCRという会社があったんですよ。「どういう会社かな」と見たらコンピュータと書いてあったので、そういえば先生が「今後はコンピュータの時代になる」と言っていたな、というので受けたのがNCRです。それも巡り会いですね。

プロの厳しさをアメリカ人に学んだ

I でも、わりとNCRが出発点になっていらっしゃるんじゃないでしょうか。

原田 ええ。NCRに試験を受けに行きましたら、当時、学生運動が大変さかんな時代といこともあって、いろいろと調べられたんだと思うんです。14回、面接をやりました。

 それで、やっと受かったんですけど、入社式に遅刻して、社会人1日目で、もう失格かというぐらい怒られたんですよ。研修が始まりまして、6カ月間。ここで頑張らないと俺の人生はもうないかもしれないというぐらい厳しい研修でした。

 必死になって勉強して、四十数人、工場に配属されて、そこから2人だけが技術開発部に配属ということで私も選ばれて。それからは本当に勉強しました。学生時代の教科書も引っ張り出して。学生時代の実験リポートを見ましたらまるで子どもですよ。「ああ、学生時代は甘かったな」と感じながら勉強した時代が20代でした。

I NCR時代、同僚の方は空いた時間を遊びに使ったりしていたけど、原田さんは「もっと難しい仕事をやらせろ」みたいな話をされたというエピソードを拝見したんですけど。

原田 振り返ってみますと、毎日よく一生懸命やったと思います。サボったことはないですね。技術屋で入ったわけで、部品検査をやるわけです。例えば、プリント基板のエッジの接点不良が多いので「そこを解析しろ」とか。

 プリント基板って、エッジのコネクターが接触不良を起こすわけです。だんだん分かってきたのは、カットしたところの角度でずいぶん変わるということですね。抜き差し500回ごとに抵抗を測るわけです。これはとんでもない重労働なんです。万力にコネクターを挟んで、大きい基板を500回、自分でやるんです。それで測って顕微鏡で見て。

I それを繰り返すわけですよね。

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「キャリアは作るな、巡り合いに賭けよ」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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