「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

法の余白に気をつけろ!

書かれざる常識は信用できるか(CSR解体新書35)

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2008年4月1日(火)

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 4月1日はエイプリルフール、世界的にウソをついてもよい日です。内外のメディアがドッキリカメラ的なテレビ番組を放映するなど、日常的な価値の転倒が許される日ということになっていますね。皆さんは今日どんなウソをつく予定ですか? それともウソなどはつきませんか? いずれによらず、エイプリルフールの事始めにはいろいろな説があるようで、本当の起源は分かっていないらしいです。

エイプリルフールの源流

 一説によれば1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用したところ、これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎを始めたことが元になったとのことです。

 これに対して国王シャルル9世は非常に憤慨し、パリをはじめフランス各地で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕して、片っ端から処刑してしまった。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。たかが暦くらい、と思うかもしれませんが、暦はすなわち農耕と課税を司る国家の基本カレンダーですから、これに逆らうものには大逆罪を適用する発想と思います。

 しかし当時のフランスの人々は、暦ひとつで少女まで虐殺したこの事件にショックを受け、王に厳重な抗議をしました。また暴政によるこの殺戮事件を忘れないために、毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになり、処刑された少女への哀悼の意を表したことが始まりとなって、「その日だけは1日嘘をついても誰も罰せられない」4月馬鹿が定着していった…こんな説があるようです。

 今日の感覚で言えば「嘘の新年」を祝った程度でいちいち処刑されていたら、生命がいくつあっても足りません。こうした為政者の恣意的な法の適用を排するために確立されていったのが、「罪刑法定主義」です。シャルル9世のような近世初期フランスの専制政治体制は、後に「旧体制」アンシャンレジームとして、革命勢力によって徹底的に批判されることになります。

マグナカルタと国権の制限

 こんな「旧体制」が18世紀末〜19世紀まで残存していた欧州大陸側に比べ、英国は極めて早い時期から立憲制確立の道が開かれていました。13世紀初頭、当時北フランスにも領土を持っていた英国王ジョンは戦いに敗れ、大陸での領地を失います。それでも再度、無謀な戦いを仕掛けてさらに敗れ続けたため1215年には貴族と民衆の怒りが爆発し、ジョン王は退位するか処刑されるかの選択を迫られました。

 ここで、ジョン王の権限を文書によって制限することで、当時慣習法として流通していた王権の規制が明記されたのが「マグナカルタ」です。王は明確に「法」の下にあり、慣習を尊重する義務を負っていることが、あからさまな文字で示された。画期的な「立憲制」への第一歩でした。王権を契約と法で明確に縛り、権力の行使には順法的な手続きが必要だと定められました。

 13世紀のマグナカルタの63の条文は後にすべて廃止されましたが、前文だけは21世紀の今日も現行法として残り、成文憲法を持たない英国で憲法の重要な中核をなしています。

 1215年といえば、日本では鎌倉時代の初期に当たります。日本で鎌倉初期から定着しているものといえば、浄土真宗とか日蓮宗などの鎌倉新仏教が挙げられるでしょう。これらはいまさら改めて「宗教」「教義」などという以前に、私たちの生活や日常言語に、完全に溶け込んだものになっています。英国国民の権利意識は、そういうレベルで民衆の常識になっているわけです。

英米法と大陸法は「常識」の背景が違う

 「鎌倉時代」から「国家という権力機構は、法によってその暴走を縛られる」という意識が広く浸透していた英国の民衆意識は、18〜19世紀まで憲法に相当する仕掛けを持たなかったドイツやフランスなど、欧州大陸のそれと大きな違いがあります。これは制度の問題としてもそうですし、国民意識も、その日常会話の言葉のレベルまで浸透して、国民性の違いとして根づいています。

 ちなみに、現在日本に導入されようとしている裁判員制度の原型となった英米法の「陪審員juryman」の制度も、英国で司法という国の権力を(貴族を含む)王権以外の民衆がコントロールすべく、いわば「下からの要求」として成立したことが本質的です。

 そんな英国の自由主義を背景として米国が独立するのが1776年。これに影響されてフランス革命が本格的に勃発するのが1789年ですから、英国と欧州大陸とでは、同じく民衆からわき上がって成立したリベラリズムの歴史といっても600年近くの時差があるわけです。そうやって形成されてきたのが英国の「書かれざる法」、コモンロー(慣習法)にほかなりません。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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