あいさつというものは面白い。相手を見下せば見下したように、媚びれば媚びるように、全身でそれを表現してしまいかねない。あいさつは自分があいさつをしたい人に気持ちを届けるのみならず、自分がどういう人間か、人にどう序列をつけているかまで、周りから同時に瞬時に観察され、それが露呈する。
芸能界は正直な場所だ。売れている人はその地位を謳歌し、そうでない人はそれなりの位置がちゃんとある。テレビ局のロビーでは見事な序列の勢力分布図が映し出される。
ある局のロビーで、芸能界では不動の高い位置を保持する人物と、ほかに数人のタレント仲間と共に私は同席していた。
通常、高い位置の人物なら本番直前までずっと楽屋にこもりがちだが、その人物は、自分に与えられた楽屋に行かず、仲間たちと時間を過ごすのが好きな人だった。たまに聞く、社員の中に入り込む社長といった感じか。そんな社長は、社員食堂で平社員と共に「仕事はどう?」とか聞きながら一緒に食事をしてみたりする。あくまで想像だが。
まさしくそんな、社長と平社員たちが、局のロビーの一角でお茶を飲んでいたのだった。
私たちの前を通ったのは、高視聴率を誇る番組のメインを務める、ある男性タレントだった。
彼は私たちを一瞥して、「おはようっす」と聞こえないような声で会釈をし、何事もなかったかのように私たちの前をぶらりと通りすぎた。そのダルそうな歩き方とどうでもいいようなあいさつの仕方に、我々の中での“社長”は怒りを露わにした。
「彼は、自分がどれほど偉いと思っているのか」
男性タレントがやってみせたあいさつは、それは私たちのような、番組に出たり出なかったりするタレントに対してよくあるものだった。高視聴率を取るということは、我々の世界でいうと天下を取るようなもので、そういう立場からすると、出たり出なかったりのタレントは、ともすると見下されがちな力関係がそこにあった。
我々の“社長”は怒っていた。
「仮に、掃除する人も、社長も、仕事をするという意味では同等ではないのか。社長にへりくだって、掃除する人を見下ろすようなあいさつは、人間としてやってはならない。社長にも掃除する人にも、あいさつは同じでなければならない」
そう熱く語った。しかし、芸能界という今現在の力関係がモノを言う世界では、その“あいさつ”そのものに、勢力の縮図が無意識に織り込まれるのだ。
次に私たちの前を通ったのは、大きなサングラスをして闊歩する女性タレントだった。