「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

伊東 乾の「常識の源流探訪」

2008年6月18日(水)

無差別殺人はいつ起きるか?

ルワンダから「秋葉原」を考える(CSR解体新書46)

1/5ページ

印刷ページ

 ルワンダからルポの途中ですが、どうしても秋葉原の無差別殺人事件のことを考えねばならないと思い、予定を変更することにしました。大きな動機になったのは、犠牲者の中に私の友人知己たちが指導していた学生が含まれていたことです。アフリカにいながらにして、急速に事件が身近に感ぜられ、強くショックを受けました。

 東京芸術大学音楽学部4年の武藤舞さん(享年21)は電器小売店ソフマップ前で携帯電話のキャンペーンガールのアルバイトをしていた。その目前に事件の犯人、加藤智大の運転する2トントラックが飛び込んできて、お爺さん(元歯科医の中村勝彦さん=享年74=と思われる)がはねられた。これを見た武藤さんは、思わず救助に飛び出した。トラックはしばらく走ってから止まり、降りてきた犯人は、あろうことか、とっさに救助すべく走り寄っていた武藤さんを、背後から刺して、一撃で致命傷を負わせた。

 十分な情報が得られないのですが、ネットを通じて知れた内容を総合すると、このような経過が浮かび上がってきました。私たちの学生がこんな目に遭ったのか…慄然としました。

 武藤さんを芸大で私自身が指導することはありませんでしたが、彼女の所属する音楽環境創造科には幾人も友人知己の教員がいます。直接の指導教官、准教授の亀川さんは彼がNHKで辣腕の音声技術者だった頃から存じ上げ、番組でご一緒したこともあります。被害者の1人が芸大生と知り、その経過を知り、さらに知己が指導する学生だったと知るに及んで、自分の指導学生が故なく殺害されたのに等しいショックを受けました。なんということだろう、こんなことが起こってよいはずがない。何がどうあっても、こんなことが起きてはならない。絶対にあってはならないこと、それが起きてしまった。

「よく覚えていない」?「周りに迷惑をかけたくない」??

 犯人は最初に凶刃を振りかざした男性の被害者と、その場にいた警察官を刺した後は「よく覚えていない」と供述しているようです。私はパニック状況下でのヒト脳の血流変化などを測定していますが、この犯人がしでかしたことは「よく覚えていない」で済むような話ではありません。仮に覚えていないなら、幾度も明確な覚醒状況で再現させて、罪の自覚を徹底して持たせなければならない。被害者はいったいどういう形で無念の最期を迎えなければならなかったのか。それを自分の意思と手で行った人間が「よく覚えていない」で済むわけがありません。

 また犯人は、一方で「身の回りの人に迷惑がかかるといけないから」と携帯電話のデータを消去しているそうです。

 個別の電話器のデータを消去しても、通信記録が残っていますから、この行動は実効的な意味が全くありません。この犯人がどの程度の知識レベルで情報器機に接していたかがよく分かります。この程度の了見の愚かな若者が、取り返しのつかないことをしでかしたのかと思うと、言葉を失います。

 しかし犯人は「迷惑がかかるといけない」という判断を、自分の身の回りの人たちにすることはできた。このケースはどう見ても、犯人には「責任能力」があると判断されるでしょう。

 身の回りの人は「人間」と思う。ところが、秋葉原という町にやって来て、日曜日の歩行者天国を訪れている人たちや、そこで働いている人たちは「人間」と認識しない。「現実とヴァーチャルなゲームなどとを混同している」あるいは「格差社会で追い詰められた者のテロ」といった識者の意見も読みましたが、こんな説明まがいの話で済むとも思えないし、再発防止などには全く役に立ちません。

 詳細に携帯掲示板に記録を残していた犯人は「身の回りの人に迷惑がかかるといけない」と「思い」、また凶器となったナイフの購入や、レンタカーを借りる際に応対した店員などについて「いい人」「だまして悪い」などと書いている。もし相手を同じ「人間」であると明確、かつ冷静に判断していたら、これだけ責任能力のある犯人です、こんな凶行には及べなかったかもしれない。しかし現実には、相手の見境なく、なんの防備もない被害者に対して突然の犯行に及んだ。そのような軽挙妄動に飛び込んでゆこう、と自分の意思で決定して、それを実行に移した。

 人間の人間に対する配慮の一切を、あえて自分からかなぐり捨ててこうした事件を起こした犯人の行動を、私たちは決して許すべきではないと思います。

未来を見失った後先を考えない犯行

 犯人は「犯行後」のことは何も考えていなかった、と語っているようです。しかし犯行後自殺しようとしていた節も見当たらないらしい。

 何かに追い詰められ(たと思い込み)、未来を見失ったと考え、自分で自分を追い込んで、現場を下見しながら躊躇さえしたうえで、でもあれこれ考えずにやってしまおう、と判断して、後先の分別一切なしに多くの人のかけがえのない命を奪ってしまった。

 報道を通じて知られる、こうした極めて自己中心的かつ幼稚な判断や行動は、厳密に罰する必要があると考えますし、絶対に再発を防止すべきものです。

次ページ以降は「日経ビジネスオンライン会員」(無料)の方および「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。




関連記事



Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)


Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
この記事を…
内容は…
コメント41 件(コメントを読む)
トラックバック

著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など


このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

⇒ 記事一覧

ページトップへ日経ビジネスオンライントップページへ

記事を探す

  • 全文検索
  • コラム名で探す
  • 記事タイトルで探す

編集部よりお知らせ

日経ビジネスからのご案内