戸邊秀治さんが変わった。4カ月ぶりに会う戸邊さんの物言いや表情の変化は、あまりに顕著で、挨拶の言葉をいったん呑み込んでしまった。大いなる出世を果たした人物でもあるかのような、自信がみなぎっている。初対面した去年の10月ころは「地域の人は誰も訪ねてきてくれない」と暗い表情になることもあったのに…。この連載をいったん終えた2月以降、よほど良いことがあったに違いない。
久しぶりに訪れた松之山郷は、すっかり田植えが終わっていた。初めて訪れた去年の秋と同様で、田んぼには人影が無く、弥が上に、過疎化が進む土地の静けさを思い知らされる。
2月に取材を終えて、次回は田植えのころに再訪しようと帰路に就いたとき、筆者を見送ったのは松之山の豪雪だった。初めて見る初夏の風景は、あくまで穏やかで慰安に彩られている。動くものが見えない景色の中で、唯一、早苗だけが風に揺れている。こうして眺める田園の風景には、中山間地であるが故の、諦念や苦悩は見えない。
連載の初回に書いたとおり、戸邊さんとは偶然の出会いだった。初対面したその日に、お宅に泊めてもらうことになったのは、今から思えば、偶然ばかりではない、お互いが持ち合わせた世情への問題意識に導かれたかもしれない、と愉快な空想をしないわけでもない。
戸邊さんは有名大学を卒業し、大会社を脱サラして自給自足の生活を目指し、長い年月、田舎に住まいを変えながら「ほんとうの豊かさ」を求めた末に、この松之山にたどり着いたと語った。そして、化石燃料を使わない、人力による米作りを6年間つづけてきた結果、1俵およそ18万円という、日本一高価なコシヒカリを生産する百姓と判っておどろかされた。
もとより筆者には分不相応な超高価米だが、自給率や食の安全性が問われる今、日本人にとって米とは何か、という命題を考える上で、世間の耳目を惹き、一定の役割を果たすだろうと、ルポの意義を見出していた。
また一方で、戸邊さんは地元では異端視されているという声を聞くことになる。実際に幾人もの人が戸邊さんを誤解していた。ますます“戸邊秀治という生き方”に興味を持った。筆者には、地方や地域の活性に大切なのは、人という資源、という持論がある。旧態依然とした状況も、ときに、異端の情熱が変革をもたらした、という史実や伝聞に思い至るからだ。
若き“担い手”集団が田植えの戦力に
戸邊家の田んぼの周辺では、鶯や郭公、不如帰の鳴き声が聴こえていた。上空ではサシバ(渡りをする鷹の仲間)が獲物を狙い、それを鴉が邪魔している。水が張られた田んぼの水面をミズスマシが泳ぎ、早苗から早苗へ、ゲンゴロウやタイコウチが動きまわっている。ほとんどの農家が生育の早まりを促すためにハウスで苗を育てるのに対して、戸邊さんは水稲の種を苗代(なわしろ・種籾を苗に育てる田)で育てる。苗代に直播きされた種籾は、自然のリズムに同調して大きくなる。そのためもあって、田植えは最後発になる。
6月7日は7人の家族が全員そろって田植えをした。5人の子どもたちは舌を巻くほどの戦力に成長している。この春、中学を卒業して横浜の親類の家から調理師専門学校に通うようになった3男の達輝は、2日という限られた休日の中で、「人の3倍も仕事をしてくれた」と眼を細めて戸邊さんが褒めるほどの働きぶりだった。これが、戸邊さんを変えた一つの理由だろう。
12日には、3年目となった、新潟の国際調理製菓専門学校の学生40人が、カリキュラムの一環として、泊まりがけで田植えに訪れた。翌13日には、昼まで作業をした40人と入れ替わって、今度は60人が田んぼに入った。今年から総勢100人になった若い労働力は、驚異的なスピードで苗取り(苗代で育った苗を採り、田植えの準備をする)と田植え作業を片づけてしまった。
専門学校側に稲作体験授業の将来性について訊ねてみた。
「この授業は将来にわたって続けていきます。私たちが日ごろあつかう食の素材がどのように作られているのか、学生たちにはまたとない体験実習ですから」
戸邊さんとは理想的な利害関係を結ぶことができたと話してくれた。戸邊さんは100人の学生を迎えるために、人数分の長靴を用意した。こうした、専門学校との発展的な関係も、戸邊さんの自信に満ちた表情の一つの理由になっているに違いない。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。




からのご案内




