• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

とにかく結論を出す、すごい人

~カーライル・グループ マネージングディレクター日本代表 安達保氏(1)

2008年7月1日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語っていただくトークセッション「Road to CEO」。今回は、米系大手企業投資ファンド、カーライル・グループの日本代表、安達保氏がゲストである。

カーライル・グループ マネージングディレクター日本代表 安達保氏

 安達氏は三菱商事に10年間勤務した後、1988年にマッキンゼーに移り、1995年に同社パートナーを経て、1997年GEキャピタル・ジャパンに移籍。東邦生命、日本リースの買収などを担当した後、2003年からカーライル・グループに参画、現在はマネージングディレクターおよび日本代表を務めている。

 大学は理工系でありながら商社を選んだ経緯、出向先のDDIでの得がたい経験から始まり、マッキンゼー、そしてGEで学んだこと・学べなかったこと、カーライル・グループの独特な投資戦略とその成功例まで、思う存分、語っていただいた。

 司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に5回に分け、火・木曜日に掲載する。

-----------

司会、山中(以下Y) 東大工学部を卒業されて三菱商事ですね。理工系のトップ大学に行かれて総合商社というのも不思議な気がするんですけど、どういう理由で選ばれたんでしょうか。

安達 昔からグローバルな仕事をしたいという気持ちは強い方でした。それで、大学4年の夏休みに、ヨーロッパのあるメーカーに夏休みの期間中に研修に行ってみた。一夏、メーカーで過ごして、「この人生をずっと続けるのか」と思ったら暗くなってしまって……。そんな経験もあって、「商社の方が面白いかもしれない」と思い、商社を受けて入ったといういきさつです。

Y 理工系だと、就職先は指導教授が決めたりしますよね。怒られたりしませんでしたか。

安達 (そういう気持ちは)先生にはあったかもしれませんね。東大の機械系の生徒は120人いたんですけれども、メーカーに行かなかった人間は、そのうち7人ぐらいです。

Y 三菱商事では最初にどんな仕事を。

安達 なんといいますか、非常に安易な配属で、(大学で)産業機械工学科にいたものですから、産業機械部に配属され、紙パルプとか印刷とか、そういう機械の営業をやっていました。

Y 思い描いていた商社マン像、たとえば海外でばりばり働くというイメージとはちょっと違った?

安達 機械って海外への輸出の仕事が多いんですけれども、たまたま私が配属されたところは国内の仕事でして。三菱グループですから、三菱重工のプラントを日本の製紙メーカーとか新聞社とかに納める仕事が多かったので、非常に疑問に思ったんです。「メーカーとメーカーの間に入って、コミッションを取っているビジネスというのは本当に価値があるのか」と。男芸者みたいな仕事ですから。それがビジネススクールに行くきっかけになった。

Y 社内で応募して試験を受けて。

安達 そうですね。

Y それで、留学先にMIT(米マサチューセッツ工科大学)を選ばれる。

安達 はい。

Y その時点ですでに「会社を出てやろう」みたいなことを考えていましたか。

安達 いや、それは考えていませんでした。たまたま工学部だったということもあって、MITの名前は昔からよく知っていて。その前にボストンに出張することもあって、ちょうど反対側のホテルからMITのキャンパスを見て、「いつかここに行きたい」と思ったりして。自分の行きたい学校に行って勉強して、「もうちょっと付加価値のある商社マンとして人生を送りたい」という気持ちは強かったですね。

大企業よりもベンチャーが性に合った

Y MITから戻ってすぐ、1984年にDDI(第二電電)に出向されるんですね。

安達 ちょうど戻った当時がニューメディア時代で、電電公社が民営化されるとか、新しい電話会社がスタートをするという時代の中で、三菱商事も情報産業に力を入れようと。私はそこに配属になって、当時は新しい通信業者が3つ、DDIと日本テレコムとTWJ(日本高速通信)ができたんですけど、その中でDDIへ。

Y 超大企業から、いわばベンチャーに行かれて、これは参ったとか、面白いとか、どちらの方が強かったですか。

安達 面白いという方が圧倒的に大きかったですね。

 出向したときは社員が20名ぐらいだったですかね。商事を含め、発起人の会社から人が来たのと、あとは京セラ、NTTから人が来て一緒にスタートし、ある意味、ゼロからつくり始めたので、非常に面白い経験でした。まさか、会社をスタートさせてから3年以内にサービスを始めることができるとは信じていなかったんですけれども、それが現実になった。

Y そこで「自分は立ち上げ型の人間なんだ」と思われた?

安達 立ち上げ型というか、飽きっぽい性格もあるんですけれど、新しいものを探して、それにチャレンジして、あるいは世の中がこういう方向に動くだろうということを感じて、その中に身を置きたいという部分があると思いますね。

Y 3年いらしたんでしたっけ。

安達 3年とちょいですね。

Y お戻りになって、1988年にマッキンゼーに転じられますが、これはやはり「大会社がつまらなくなった」ということですか。

コメント0

「Road to CEO」のバックナンバー

一覧

「とにかく結論を出す、すごい人」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

富士山を目標にする人はいつか富士山には登れるでしょうが、エベレストには登れない。

澤田 秀雄 エイチ・アイ・エス会長兼社長、ハウステンボス社長