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無学貧乏な直吉を育てた「質屋学校」

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・2

  • 山岡 淳一郎

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2008年7月7日(月)

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 いまから90年ほど前、日本の国家予算を超える年間売り上げを記録する会社があった。神戸に拠点を置く商社、鈴木商店である。現代の神戸製鋼、帝人、双日、IHI、太陽鉱工、サッポロビール、日本製粉……錚々たる企業が、鈴木商店を母胎にしている。

 その鈴木商店の総帥・金子直吉は、商機を逃がさぬ決断力と実行力から「財界のナポレオン」と呼ばれ、資源のない日本を交易立国として羽ばたかせる原動力となった。「生産ほど尊いものはない」が口癖で、ありとあらゆる産業を興した。

 もっとも金子直吉は、「銀のサジをくわえて生まれてきた」人間ではない。昨今の二世、三世議員のように乳母日傘で育てられたわけでもない。その対極の貧しさのなかで、無学だ、アホウだ、と蔑まれながら、まさに徒手空拳で商いに挑み、身を起こした男である。史上最大の起業家を育んだ環境はどのようなものだったのか。少年時代の直吉に会いにいこう。

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 壊れた石垣の上で、頭頂部の尖ったビリケン頭の少年が、悠然とあぐらをかいている。   
 ジャンケンで勝った直吉、気分は殿様である。

「お頼みもうす」と石垣を見上げて、洟たれ小僧が叫ぶ。
「何じゃ」直吉がいばりくさって応える。
「天下を芋刺しにして食いたいのじゃ」

 「食いたくば、食ってみよ」と直吉が返事するや、小僧はサルのように石垣を登った。ふたりは手を四つに組み、力ずくで相手を落とそうともみ合った……。攻守が入れ替わり、今度は直吉が「お頼みもうす」「天下を芋刺しにして食いたいのじゃ」と向っていく。

日が暮れるまで、直吉はこの「天下取り」遊びに熱中した。
石垣に座って、しばし貧しさから解放される夢にひたるのだった。

◆ ■ ◆

 黒潮が洗う土佐は、山もまた深い。


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 金子直吉は1866(慶応2)年、四国山地の谷が切れ込む吾川郡名野川村(現仁淀川町)に生まれた。峠の向こうは伊予の柳谷村である。生家はもともと高知城下の富商だったが、数代前の当主が茶の湯に生け花、俳諧と風流三昧で蕩尽し、家運が傾いた。

 父の甚七は土佐藩家老との縁故で名野川村に出店する許可を得て、城下から移り住み、反物を商った。競合する店もなく、商売はしばらく繁盛したものの、維新の経済混乱で店を閉じた。

 直吉が五、六歳のころ、一家は高知に舞い戻ることになる。

 落ちぶれたとはいえ旧宅は構えも大きい。子どもながら直吉は心が浮き立った。だが、帰ってみると家は借金のカタに取られ、見ず知らずの他人が暮らしていた。家族は四畳半一間の貧乏長屋に転がり込んだ。

 家政を切り盛りしたのは母、民であった。民は古着の行商をして直吉と弟を育てた。夏の夜、雨が漏る長屋のなかで、民は直吉にこんな戒めを授けている。

学校に通えず、クズ拾いの日々に訪れた転機

「よく心得ておけよ。金子の家はながく続いた金持ちだったが、貧乏人をいじめたので、その因果がたたって子孫がこんな目にあう。おまえは立身出世して金持ちになっても決して貧乏人をいじめてはならぬぞよ」

 直吉はコクンと頷く。「天下取り」に夢中になったのは、そんな時分であった。

 学校へは通わせてもらえなかった。十歳で、カゴを背負って紙くず買いを始め、砂糖商、乾物屋と奉公を重ねた。学校に通う同世代の少年や奉公先の店員からは始終「おまえはバカだ。無学文盲。貧乏でアホウだ」と侮蔑された。直吉本人も、おれはバカなのだ、と思い込む。とても人並みの仕事はできないからこつこつ働いて小店を構え、家族と慎ましやかに暮らしたいと願ったが、「無学だ、アホウだ」と軽んじられ、それすらままならない。奉公にも嫌気がさしてぶらぶらしていた14の春、転機が訪れた。

 母が奔走して、傍士久馬次という質屋の働き口を見つけてきたのである。母の民は、傍士に必死で頭を下げて、直吉と雇ってもらえることになった。

 この奉公先で、直吉は、書物と接することに目覚めた。学校には行かなかったものの、近所の神主から読み書きの手ほどきは受けていた。質屋の蔵に積まれた書物を前に、直吉の好奇心がむくむく頭をもたげてきた。一冊、手に取り、試しに辞書を引きながら読んでみると、これがなかなか面白い。

 辞書と首っ引きで、質草の本を読みふけった。法律から政治、経済、文学と直吉の興味は広がってゆく。乾いた砂が水を吸い込むように、直吉は知識を蓄えた。気がつけば、独学で商売の基礎を身につけていた。

 万巻の書のなかでも、とくに「孫子」にひきつけられた。孫子はいう。

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