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「橋と主人は弱くてはいけない」
~二人の「母」が救った土壇場

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・3

  • 山岡 淳一郎

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2008年7月14日(月)

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 神戸製鋼、帝人、双日、IHI、太陽鉱工、サッポロビール、日本製粉……錚々たる企業の母胎となった巨大商社が、90年ほど前の日本に存在した。神戸に拠点を置く鈴木商店である。

 鈴木商店の総帥・金子直吉は、いわゆる「銀のサジをくわえて生まれてきた」人間ではない。その対極の貧しさのなか、徒手空拳で商いに挑み、身を起こした男であった。

 二十歳の直吉は、南国土佐をあとにして「生き馬の目を抜く」国際商業都市、神戸へ渡った。砂糖商の鈴木岩次郎にソロバンで殴られて血を流しながら、商いのイロハを覚える。あまりの激しさに逃げ出したくなった。と、そこに菩薩の微笑みをたたえて、そっと手をさしのべてくれるひとがいた。女将さんの「よね」である……。

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 金子直吉は、土佐の高知をあとにして神戸の鈴木商店に就職した。主人の鈴木岩次郎は、噂にたがわぬ厳しい商人であった。

「はがき一枚、満足に書けねぇのか。失敗ばかりしやがって!」

 岩次郎がつかんだソロバンが、直吉の頭に振り下ろされた。ガシャンと大きな音がする。ヘヘッと平伏する直吉の額に、ツツーッとひとすじ、まっ赤な血が垂れた……。

 鈴木商店の創業者は、気性が荒かった。

 川越藩の下級武士の家に生まれた鈴木岩次郎は、幕末から維新の動乱期、西へ流れて商売の道に入った。関西から四国、中国、九州と各地で旅費を稼いで長崎に行き、当時、花形だった菓子職人の修行を積んだ。長崎で腕を上げた岩次郎は、江戸に戻って店を出そうと帰路につく。その途上、下関で、関東人らしい言動が怪しまれ、「幕府の間諜(スパイ)に違いない」と官軍につかまってしまう。菓子職人とわかって放免されたものの、危うく首をハネられるところだった。旅をするのも命がけだ。

 岩次郎は、山陽道を神戸まで東上して、「おおっ」と目をみはった。

 神戸は開港景気で沸き立っていた。文明開化とともに砂糖の需要は急拡大している。不平等条約で日本側は関税を自由にかけられない。質のいい「洋糖」が、ジャワから香港を経由して、居留地の西欧人や中国人の商館にどっと流れ込みそうな雲行きだった。その外国商館から洋糖を仕入れ、高く売りさばけば大商いができる。ここで、ひと勝負だ、と岩次郎は神戸に腰をすえた。

 岩次郎は、手広く砂糖を商う「辰巳屋」に雇われた。菓子職人だから砂糖の良し悪しの鑑別はお手のもの。商才にも秀でており、めきめき頭角を現し、暖簾を分けてもらった。鈴木商店の屋号「カネ辰」は、ここに由来している。不平等条約の下、神戸の商人は過当競争による共倒れを避けねばならない。岩次郎は砂糖商を束ねて「洋糖商会」を結成する。販売カルテルを結び、取引を独占したのである。

つらい毎日に土佐へ逃げ帰ったが

 諸国を放浪し、苦労の末に商売を立ち上げた岩次郎は、店の者に厳しかった。

 毎日叱られっぱなしの直吉は、何度も逃げ出しそうになったが、そのつど、女将さんのよねが主人との調停役を買ってでてくれた。

「直吉、辛抱や。辛抱やで。あんたは、神戸に何しにきたんや。外国相手に勝負したいのとちがいますか。外商の鼻を明かして、大もうけしたいのやろ……」

金子直吉を支えた「お家さん」、鈴木よね

金子直吉を支えた「お家さん」、鈴木よね

 よねに諄々と諭されると、直吉は、思い直す。
 そうや、西洋人と直接商売ができるようになるまでは、何があっても辛抱しよう。

 鈴木商店の砂糖部門は洋糖商会に移され、直吉より一年早く奉公に入った柳田富士松が番頭として仕切っていた。歳は柳田がひとつ下だった。直吉は、店の仕事で残っていた「ドル相場」を担当する。だが、商売は頭打ち。いつの間にか貸金の取立てばかりで、肝心の貿易見習いから遠ざかった。もう西洋人相手の商売とは縁がなくなった、と気が滅入った。

 直吉もまだ若かった。ここが潮時と父親の病気見舞いにかこつけて帰郷を申し出る。
 よねは、着物だ、なんだとモノを直吉に与えて引き止めにかかる。しかし、今度ばかりは直吉の気持ちもなびいてこない。

 「神戸で苦労をするくらい、父母に必死で仕えたら、どんなに喜んでくれるだろう」と土佐へ帰ってしまった。

 ここで、よねが見放していたら、金子直吉の立身出世、いや、鈴木商店が国家予算を超える売上げを達成することは、夢のまた夢であっただろう。よねは、夫の岩次郎を説得した。「直吉は商売の勘がよろしい。まっしぐらに突き進む胆力もあります。素直にひとの意見にも耳を傾けます。わては、店を支える番頭やと思います。あんさん、お願いです。もういっぺん、直吉に出直す機会をやってくれませんか」

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