職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、自身の経験を語っていただくトークセッション「Road to CEO」。今回は、出版社、コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパン社長、斎藤和弘氏をゲストに迎えた。

斎藤氏は東京大学文学部卒業とともに平凡社に入り、雑誌「太陽」編集部に配属、現在は作家となった嵐山光三郎のもとで編集のイロハを学び、その後、 平凡出版(現マガジンハウス)に転職し、「平凡パンチ」「POPEYE」編集部で活躍した。
1996年「BRUTUS」編集長に就任するや、低迷していた部数と広告出稿を瞬く間に回復させる。その手腕が評価され、2001年、コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパンの社長に迎えられ、現在は、同社発行の「VOGUE NIPPON」「GQ JAPAN」の編集長をつとめている。
東大入学の経緯、出版界を目指した理由から、編集者の原点を叩き込まれた「太陽」時代の逸話、特集全体をひとりの編集者に任せ、広告と編集記事の境目をなくす、という斬新な雑誌“経営”手法、外資企業でうまく仕事をするコツ、私生活や職業観まで、とことん語っていただいた。
司会はリクルートエグゼクティブエージェントの井上和幸と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に5回に分け、火・木曜日に掲載する。
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司会、井上(以下I) 斎藤さんが出来上がるまでの、スタートあたりからお聞きしたいんですけれども、山形出身の少年が東京大学に入学されて、その後、出版社に行くと。山形にいたころ、今のような世界に行く夢とかイメージをお持ちだったんでしょうか。
斎藤 まったくありません。
I そのころ考えていた職業は?
斎藤 あまり考えてなくて、一番イメージできたのは先生。うちは実家が百姓なんですけれども、それ以外、先生か県庁の役人ぐらいしかないんですよ。私は長男で、姉と妹がいます。300年ぐらいそこに住んでいます。物心が付いたときに、祖父に跡継ぎだと言われていました。
小学校5年生のときに、晩酌で酔っぱらっている祖父に、またぞろ「跡を継ぐんだぞ」という話をされ、私は初めて「嫌だ」と言ったんです。言った瞬間、投げ飛ばされたわけです。
うちの祖父は柔道3段で、半端じゃなく強い。その瞬間、「ああ、これ以上これは言ってはいけないんだ」と思ったんです。その祖父いわく「中学までは行かせてやる」と。
I 中学までですか。
斎藤 ええ。中学まで行きました。そこそこ成績がよかったんですよ。そうすると「高校は行ってもいい。ただし農業高校だ」と。姉と妹がいるんですが、姉はなぜかピアノのレッスンでヨーロッパへ行っているんです。あり得ないでしょう。
I それはオーケーなんですね。
“引力”から逃れようと、背水の陣で東大受験
斎藤 「姉はヨーロッパへ行っているのに、なぜ私は農業高校へ行かなきゃいけないんだ」と、普通の進学校に行ったんですね。そこも成績がよかったので、大学の話に当然なります。そしたら祖父は、「行ってもいい。ただし山形大学だ」と。それは困るんですよ、通えるから。「東北大でもいいぞ」と言うんです。仙台ですから、うちから1時間で行けてしまう。これもまずいと。
だから距離じゃなくて、祖父に「しょうがないな」と思わせなきゃいけないから、どうしても東大でなきゃだめだった。背水の陣で、結局、東大しか受けてないんですけど、入っちゃったんです。じいさんは、「じゃあ、4年間はオーケーだ」と。
I そこは理解があるわけですね。
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