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窓際とは、つくられるものである

~コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパン社長 斎藤和弘氏(2)

2008年7月24日(木)

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 ファッション誌編集者として、そして雑誌出版の経営者としてリーダー的存在であるコンデナスト・パブリケーションズ・ジャパンの斎藤和弘社長。そこに至る道は「故郷の山形を抜け出すために東大へ進学し、給与で出版社を選んだ」という。しかし、就職した平凡社で待っていたのは、思いもかけぬ編集者修業の道だった。そして、平凡社は業績不振に陥っていく。


コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパン社長 斎藤和弘氏

司会、井上(以下I) 平凡社の「太陽」で、嵐山幸三郎さんの下で「一本丸ごと」の仕事のやり方を学ばれ、そして3年ぐらいで一度フリーランスに戻るんですね。

斎藤 理由は簡単で、入った平凡社が見事に傾いたんです。1960年代に平凡社は、百科事典が紀伊國屋のベストセラーに入るぐらい売れていたん。百科事典って1960年代に20万円とかしていたので、当時、ボーナス1回分で100万円とか(社員に)渡していたんです。

 今でも四番町にビルがあるんですけれども、イタリアンモダンみたいなんですよ。中に入るとイタリアの大理石がありまして、ロビーに置いてあるいすが全部、名作チェアで、私が入ったときに、黒い焼き付けの両ひじの机です。そこに黒い電話があって、いすはイギリスイームスのチューリップチェアだったんです。

I すごいですね。

斎藤 ええ。社長室があったんですけど、ルオーの本物の絵が掛けてある。そういう会社が百科事典が売れなくなった瞬間、だーっと下がる、単品でやってきたわけですから。

I そういうことなんですか。

斎藤 そう。1980年のある日、取材でロサンゼルスへ行って帰ってきたら、嵐山が「ちょっと話がある」と。「何でしょう」と言ったら、「会社が傾いて希望退職を募集している。退職金は割り増しだけどどう思う?」と言うから、よくよく考えて、「辞めます」と手を挙げ、3年しか勤めてないのに300万円の退職金。

 いい会社だと思いますよ。残務が残っていたので、それから3カ月間は嘱託扱いになって、月々50万円のお給料をいただいていたんです。

 そこでフリーランスになって、同じ年代の同僚2人と、3人で事務所をつくりました。編プロの先駆けみたいなことをやっていたんです。普通、編プロは雑誌の仕事をするんですけど、当時はそんなに雑誌がないので、単行本を作っていたんです。あとの2人はグラフィックのデザイナーだったので、私が編集をして2人がやる、というやり方で2~3冊本を作りました。

「事実」と「真実」の違いに衝撃、一晩入院

I その中に、村上春樹さんの本があるという。

斎藤 そうです。村上春樹さんが千駄ケ谷でピーター・キャットという飲み屋をやっていた時代で、よく一緒に酒を飲んでいたりしたので。当時、糸井重里が有名だったんですけれども、村上春樹と糸井重里の連作エッセー集って、今では誰もばかばかしくて考えないやつをまじめに考えたら、2人とも「やる」と言うので、それを本にしました。

I なるほど。その後、そんなに期間を置かずに、平凡出版社の方に入られていますね。これはどういうきっかけだったんですか。

斎藤 「太陽」をやって、雑誌の仕事がある程度見えてきた時点で、やっぱり仏像や盆栽ではなく、「雑誌はもうちょっと自分に近いものだろう」と思ったんです。そのときに「POPEYE」という雑誌が大きなムーブメントになっていて、「BRUTUS」が出始めたころだったんです。「これだ」と思ったんですよ。

 その頃、それを作った木滑良久という、今はマガジンハウスの最高顧問のじいちゃんがいるんですけど、その人に嵐山の紹介で会ったんです。「実はこうこうこうで入りたいと思います」と言ったら、「うちは試験がある」と言われて、中途入社の試験を受けたんです。今のマガジンハウスではまったく考えられないですけど、5000人来て、10人ぐらい採用された。入ったら、「当然『BRUTUS』だろう」と思ったら、「悪い、悪い、『平凡パンチ』へ行ってくれ」と言われて「平凡パンチ」になったんですよ。それで、そこから先、80年代の前半は、芸能ヌードグラビア記者をやっていたんです。

 本当に悩みました。それまでは本を読み、事実は何か、ということをちゃんと書くんですね、当たり前の話ですけど。「平凡パンチ」で、今でもよく覚えているんです、最初に渡されたネタ。デスクからスポーツ新聞のベタ記事を渡されるんですよ。「斎藤君、これに行ってきなさい」と言われて見ると、歌舞伎町にレンタルルームができたという記事なんですね。そのレンタルルームを「取材してこい」と言うんですよ。

 カメラマンと行って、おばちゃんに「料金は幾らですか」とか、「どんな人が来ますか」とか聞いて、原稿を書くんです。渡したらデスクが、「斎藤君、これは事実だけど真実じゃないよね」と言うんですよ。「どういうことですか」と言ったら、「隣の部屋からアー、ウーという声が聞えたという原稿になってないよね、読者はそれを期待しているんだよ」と言われたんです。それで、コペルニクス的転回が頭の中で起きて、「これは無理だ」と思ったんです。それで病気になりました。

I 何になられたんですか。

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「窓際とは、つくられるものである」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官