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「株主よりも借金の方がマシだ」
~財閥とは逆の道から世界を目指す

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・8

  • 山岡 淳一郎

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2008年8月25日(月)

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 「日糖事件」を乗り切った金子は、「お家さん」ら鈴木家の近親者と会社の幹部を集めて相談会を開き、今後の鈴木商店の大方針を諮った。


(イラスト:茂本ヒデキチ)

 商人が危ないのは有卦(うけ)に入って、仕事を拡大している最中だ。金子の脳裏には、この際、商売を縮めて砂糖からも手を引き、神戸の本店だけを守ってはどうか、という消極論もよぎった。さすがの金子も手にした資金の大きさに慎重になった。

 しかし、鈴木商店は大里精糖を売却した際に北海道や九州での砂糖の一手販売権も手にしている。好調な函館や小樽、下関の支店を閉める理由がない。議論を重ねたが、

「急な転換は行わず、現状維持で手堅く商売をやっていこう」

という結論に達した。
現状維持とは、金子にとっては「まっしぐら」に突き進むことに他ならない。

 ここが金子と鈴木商店のターニングポイントであった。このときブレーキをかけていれば、鈴木は世界史に名を残す企業にはならなくとも破綻はせず、神戸の老舗としていまも営業を続けていたかもしれない。が、鈴木商店は金子のカリスマ性に賭けた。

 社員を心酔させ、従わせる金子は、他方で凡人が首を傾げるような一面ももっていた。

資本力の小ささをまったく気にしなかった

 カリスマ金子の弱点は、ひと言でいえば鈴木家への「忠義心」であった。夫人がホトトギス派の俳人だった影響で金子も俳句を詠んだが、当初、「白鼠」と号した。白鼠は大黒天の使いで、その住む家は繁盛したと言い伝えられる。転じて主家に忠実な番頭や雇人を白鼠という。「チュウ、チュウ」という鼠の鳴き声に忠義かけたともいわれる。

 金子は、生涯、鈴木商店の専務で通している。鈴木家の白鼠は、会社組織のあり方でも「お家」を優先した。鈴木商店は、1902(明治35)年に資本金50万円の合名会社となったが、年商が国家予算を超える段階に至っても、しばらくは、資本金50万で通している。

 金子は「カネは借りればいい」と、資本力の小ささを屁とも思わなかった。無限責任社員である鈴木一族や金子が出資した合名鈴木は、多角化した七十数社の株式会社を統べる「持ち株会社」でありつつ、大々的に貿易事業も行うようになる。

 金子は「お家」と、その大番頭である自らの縦の関係を企業活動の源泉にした。「お家」は金子にすべてを任せる。実質的に金子が支配者となり、権力を握った。

 明治末から大正にかけて、大会社の組織体系は、無限責任の合名会社が乱立する形態から、持ち株会社を頂点に株式会社が下に収まるピラミッド型へと転換している。

 この頃、日本一の財閥「三井」の幹部は、欧州のユダヤ系財閥「ロスチャイルド家」を訪ねて、企業群をどう統治すべきか教えを乞うた。

ロスチャイルド家に学んだ三井財閥

 ロード・ロスチャイルドは「銀行・鉱山は最も危険な業種であるから、すみやかにこれを有限責任組織に変更し、三井家の直接経営をやめ、独立営業とするよう」勧めている。ハンブルグ銀行の頭取マックス・ワルブルクは、具体的に「三つの会社(銀行、商社、鉱山)を株式会社または株式合資会社に変更し、別にこれらを統轄する会社を起こし、この統轄会社の全権利は三井家で掌握し、三個の株式会社の株式の49%までは売り払い、残り51%は統轄会社が保有して、三会社を管理すべきだ」と忠告した。直接的な営業をしない純粋持ち株会社は、総財産の管理に当たり、資金的余裕ができたら、その運用をするよう申し添えてもいる。

 三井家は、ハンブルグ銀行頭取の提言に沿って組織再編を行った。1909年、三井同族が出資する「三井合名(資本金5000万円、以下同)」を持ち株の中枢機関とし、「三井銀行(2000万円)」「三井物産(2000万円)」を合名会社から株式会社に変更。2年後には鉱山部を独立させて株式会社「三井鉱山(2000万円)」を設立する。ここに親会社が、銀行、商社、鉱山という三大事業を統率する三井コンツェルンのかたちが整ったのである。

 三井の組織改変後、「安田保善社(1000万円)」「三菱合資(3000万円)」「古河合名(2000万円)」「浅野同族(3500万円)など各財閥は、次々と持ち株会社をつくっている。いずれも資本金は鈴木の数十倍である。

 金子は資本力には頓着しなかったが、人材への投資は惜しまなかった。他社にさきがけて、語学を身につけた卒業生を次々と採用した。人材の大切さは痛いほど知っている。その新世代の社員たちは、鈴木の商社部門を株式会社に変更するよう金子に訴えた。株式を公開して広く資本を募り、経営にも多数決原理を取り入れるべきだ、と主張した。

 だが、金子は、そっけない返事をくりかえす。

「鈴木商店が骨身を削って得た利益は、鈴木の利益として独占すべきであり、株主に配当するくらいなら銀行からカネを借りるほうがましだ」
「配当するカネがあれば、事業に投資したい」

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