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MBAホルダーなのにコピー取り!?

~ヤンセン ファーマ社長 関口康氏(1)

2008年9月2日(火)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語っていただくトークセッション「Road to CEO」。

 今回は、ヤンセンファーマの代表取締役社長、関口康氏をゲストに迎えた。

ヤンセン ファーマ社長 関口康氏

 関口氏は東京大学工学部都市工学科を出て三菱商事に入社。その後、ボストンコンサルティンググループを経て、ジョンソン・エンド・ジョンソンで新規事業のトップを務め、その成功が評価され1998年ヤンセン協和の社長に就任。社名変更に伴い、2002年からヤンセン ファーマの代表取締役社長となり現在に至っている。

 高校時代の話から始まり、三菱商事への入社のいきさつ、MIT留学時代の逸話、転職して入ったボストンコンサルティングでの「こんなはずではなかった話」、さらにジョンソン・エンド・ジョンソンでの成功談、ヤンセン急拡大の背景など、大いに語っていただいた。

 司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に5回に分け、火・木曜日に掲載する

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司会、山中(以下Y) お招きした方に聞くと、ご実家が商売をやられていた方が多いのですけれど、ご両親は?

関口 うちは違います。父親は大学で地理とか気候学の教師をやっていて、母親は専業主婦でした。母の家はずっと医者の家で、商売とはまったく関係のない家系です。

Y 進路を決めるとき、ご両親の影響はどの程度受けていますか?

関口 アカデミズムは適性がないと分かっていたんですが、医者になるのはずっと選択肢にありました。たまたま後継ぎがいなくて、私に対する期待があったんです。だけれども、一切、こうしろ、ああしろというのはなくて、まったく自由にさせてもらいました。

Y 大学は東大と、他にはお受けになりましたか?

関口 最初の年はうまくいかなかったんですけど、2年目は、東大工学部、慶應医学部、早稲田は政経学部。どれか受かったところで決めようと。結局は全部受かっちゃったんですけれどね。

Y そして東京大学の都市工学科にお進みになるんですが、これはどういう理由で?

関口 高校は教育大学附属駒場(今の筑波大学付属駒場)ですけれども、ちょうど高校1年のときが東京オリンピックなんです。

Y 1964年でしたっけ。

関口 そうです。代々木あたりに、体育館ができて様変わりしたり、高校にも新しい体育館ができて、そこに「東洋の魔女」が来て練習していたんです。そんなのを見て、オリンピックのインパクトがすごく強くて、都市を改造するとか、そういう仕事が男子(一生)の仕事じゃないかと。

司会、秋山(以下A) 一方、この時期って、いわゆる学生運動も吹き荒れました。影響されなかったですか。

関口 声は掛けられたんですけれども、自分は当時ヨット部にいたんです。ほとんど合宿ばっかりで学校にいないんです。学校にいるときは雀荘に行っていたという。

Y オルグされるヒマもなかった。

関口 私が昭和43年入学で、44年に安田講堂占拠があったので入学中止という年だったんです。全共闘が我々の学校を壊していくのが気に入らない、学校を守ろう派になっちゃいまして、政治的な活動はやっていませんでした。

都市開発の仕事を目指すが、失望を味わう

Y 就職先ですが、都市設計にかかわる仕事を、ということで選ばれた?

関口 都市計画もいろいろなのがあって、建設省に入って都市計画するのもあるんですけれども、自分はアーバンデザインという言葉にあこがれて、「デザイナーになりたい」と。なので、設計事務所を第一志望で考えていました。それで設計事務所にアルバイトに行き、いろいろやらせていただいたんですけれども、自分はあまり向いてないのが分かった。それから、もう1つ分かったことが給料が安すぎる(笑)。

 たまたま私の友人が三菱商事に入って、私は新入生がいないときの卒業生ですから、引く手あまただったんです。父親が海外と関係の深い仕事をしていたので、「海外でも活躍できるといいな」と。ちょうどそのころ、商社が都市開発をやるということを言っていたので、「設計事務所よりは給料がよさそうだ」みたいな感じで、三菱商事に就職したわけです。

Y 希望通り、都市開発の仕事をやれたんですか。

関口 違いました。「1年間、営業を勉強しろ」と言われたんです。ガードレールとか、鋼矢板といって、川岸に板を打ち込んでいるのがあるんです。そういう建材の仕入れ先が日本鋼管(現JFEホールディングス)や新日鉄、売り先が建設会社。そういう現場では商社の人間は、まったく頭を下げるだけという仕事になります。それを経て、地域再開発に取り組むチャンスをいただきました。

 千葉県の鎌ケ谷市に小学校があったんです。1974年か1975年。その跡地の再開発という仕事があって、当時まだ小さいイトーヨーカ堂と竹中工務店と組み、うまくいきました。(入社)2年目、3年目です。それは今でも印象深い。鎌ケ谷市にいまだにそのときつくったイトーヨーカドーが残っていますので。

A そのときの商社はどういう役割ですか?

関口 コーディネーターと言って、チームを編成して、交渉はするけどリスクは取らない、お金は出さない。その代わり、数パーセントの商社口銭というのを取る。これが当時のビジネスモデルでした。

Y チームのメンバーにとっては商社が入っていることで、どういうことが期待できるんですか。

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「MBAホルダーなのにコピー取り!?」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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