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丁稚、日本一の貿易商社を率い「天下三分の計」に出る

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・11

  • 山岡 淳一郎

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2008年9月22日(月)

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 その朝、須磨の自邸で目覚めた金子直吉は、書斎に入った。

 東の空に昇った太陽が、瀬戸内の海をきらきらと魚鱗のように輝かせている。  1917年11月、中秋の穏やかな光に包まれて、金子と鈴木商店は絶頂にあった。

(イラスト:茂本ヒデキチ)

 窓から燦々と差し込んでくる陽を浴びながら、金子は、太い巻紙と筆を手にした。これまで何百回、何千回と巻紙に筆で書き物をしてきたけれど、この朝の気分は格別だった。

 鈴木商店の大方針を伝えねばならぬ、と金子は居ずまいを正した。  手紙を送る相手は、ロンドンに駐在する高畑誠一である。

 「高畑誠一君に対し 先日御懇書をもって戦争による英米財界の変遷を報導せられ、これが確かに吾人(ごじん=われら)の法螺袋(儲けが予想外に大きな袋)の一部となりしを感謝す。なお、かくのごとき一般的の報告とともにまた専門的、たとえば豆が戦争のためどうなるか、戦後、樟脳の需要がどうなるとかこうなるとかいうような報告をも賜らんことを望む……」と墨痕も鮮やかに金子は書き出した。

 第一次大戦は、そろそろ終局を迎えようとしている。大戦景気で鈴木商店は莫大な富を得た。だが、いずれ戦争は終わる。金子は、船舶の黄金時代がいつまで続くのか、戦後の運賃はどうなるのか、米、豆、薄荷、銅、亜鉛、鉛などの状況や今後の見通しも知らせよ、と続けた。

 船舶については、古い持ち船を2隻売る代わりに一万トン級2隻、5千トン級と3千トン級を1隻ずつ新造中だと伝える。一番早い船は来夏には竣工する、と添えた。船のことは心配するな、と励ましているようだ。

 日本で製造可能な軍需品の注文をとることも面白い、激戦が続くフランスに人を派遣することも考えている、と金子は高畑に胸のうちをさらけだす。

 と、ここまでは業務連絡である。この手紙が、雄々しい存在感を放つのは後半だ。

 金子は、書く。

「お互いに商人としてこの大乱のまんなかに生まれ、しかも世界的商業に関係せる仕事に従事しうるは無上の光栄とせざるをえず。すなわちこの戦乱の変遷を利用し、大儲けをなし、三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らとならんで天下を三分するか。これ鈴木商店全員の理想とするところなり。小生ども、これがため生命を五年や十年早く縮少するも、さらに厭うところあらず。……ロンドンの諸君、これに協力を切望す。小生が須磨自宅にて出勤前この書をしたたむるは、日本海々戦における東郷大将が、かの『皇国の興廃この一挙にあり』と信号したると同一の心持ちなり」

 凛々たる覇気に満ちた手紙は、「天下三分の書」と名づけられる。「三井三菱を圧倒するか、ならんで天下を三分するか」と金子は、挑むべきはるかな高嶺を指したのだった。

日本一の貿易会社となった鈴木商店

 この年、鈴木商店は15億4千万円の売上げを達成し、三井物産の10億9500万円に水をあけた。鈴木は日本一の貿易会社となった。当時の国家予算は10億円に満たない。鈴木の稼ぎ方がいかに凄かったか想像がつくだろう。鈴木はせっせと外貨を持ち帰り、日本を債務国から債権国へ押し上げる原動力となった。

 財界での金子の重みは増す一方だった。が、相変わらず身なりには無関心である。いつも鼠色のコートのようなだぶだぶの服を着ていた。鼠色の服は、夏、冬、春秋用と三種の布地でこしらえていたそうだが、周りは知らない。四季を通して着たきり雀のようだった。

 金子は、年中、考え事をしているせいか、頭がカッカしてたまらんと真冬でも氷嚢を頭に載せ、そのうえからヨレヨレの中折れ帽を被った。尖がった頭のてっぺんから氷嚢がずり落ちるのを帽子でどうにか押さえていたのだ。

 個人の蓄財にはまったく興味を示さず、身の回りの金銭の管理は会計係に任せっぱなし。鼻の持病が悪化して四六時中、鉄縁メガネをのせた鼻にコカインを噴霧していた。酒は飲まず、人の話には「ああ、そう」「へい、そう」と返事をするものの、虚空に向けた灰色の斜視の奥では別のことを熟考している。ひとたび語り始めると博覧強記の弁舌で話をまとめあげる。

 金子は東京駅に隣接するステーションホテルを定宿にしていた。仕事に夢中になって列車の時刻をつい忘れてしまう。ベルの発車音でハタと気づくと、紐で結わえた靴を首からぶら下げて脱兎のごとくホテルを飛び出し、列車に駆け込んだ。他人の視線などに構ってはいられない。腹には「士魂商才」。金子直吉は、奇矯な人であった。

 その変人ぶりが、かえってカリスマ性を際立たせた。

 バブルはいずれ砕け散る。潮目が変わるのはいつか。金子が神経をとぎ澄ませているなかで、その第一波が襲来した。重工業のアキレス腱が断裂しそうな衝撃が、国内に走った。

 1917年8月、米国が「鉄材輸出禁止令」を交付したのである。

 第一次大戦中、日本の造船業界は世界的な「船腹不足」を追い風に飛躍的な発展を遂げた。年間総造船量は、1914年の8.5万トンから18年には64.1万トンに急増している。しかし、国内の鉄鋼業は発展途上で原料の鉄材を自給できず、海外からの輸入に頼りきっていた。すでに前年4月、大供給源だった英国が自国の鉄不足を理由に輸出禁止を打ち出しており、日本は造船用鉄材の輸入総額の9割以上(1億6667万円)を米国に依存する状態だった。

 その米国も戦争で大量の船を失い、外国に譲る鉄材はないと門を閉じたのであった。米国の禁輸が続けば、造船、海運業界は致命的な打撃を受ける。資源を持たざる国にカタストロフィーが、じわじわと迫っていた。

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