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鉄飢饉を救った「日米船鉄交換契約」

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・12

  • 山岡 淳一郎

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2008年9月29日(月)

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前回までのあらすじ】

 鈴木商店は、第一次大戦による欧州の船腹不足、食糧や生活雑貨、薬品などの欠乏を奇貨として大商いを連発した。三井物産を凌ぐ大商社となり、年商は国家予算を超えた。

(イラスト:茂本ヒデキチ)

 金子直吉は、若きエースと恃むロンドン支店長、高畑誠一に「この戦乱の変遷を利用し、大儲けをなし、三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らとならんで天下を三分するか。これ鈴木商店全員の理想とするところなり」と「天下三分の書」を送った。

 だが……、長い塹壕が掘られ、硬直していた欧州戦線は、アメリカの対独宣戦布告で動きだした。ヨーロッパの紛争に距離を置くモンロー主義を貫いてきた米国も、ドイツの無制限潜水艦攻撃で自国民の命が奪われ、ついに戦争に加わった。大戦中に産業力を向上させた資源大国アメリカの参戦は、疲弊していた英仏にとってまたとない朗報だった。長いトンネルの先に光明がさしてきた。

 大戦が終われば、世界経済の潮目が変わる。それは、いつなのか……金子が神経を研ぎ澄ませていたところに、第一波の衝撃が及んできた。

 1917年8月、米国は、「鉄材輸出禁止令」を公布したのだ。参戦によって船を失い、他国に鉄材を譲る余裕はない、と門戸を閉ざしたのである。

 鉄鋼は日本のアキレス腱であった。とりわけ造船用材は、輸入総額の九割以上を米国に頼っていた。その供給が断たれたら、日本経済は恐慌をきたす。日本側は、鉄材を供給してくれれば、それで船舶をつくってお返しすると「船鉄交換」をもちかけた。官僚や軍人を政府代表として送り込み、交渉を行ったが、米国の態度は変わらなかった。

 鉄材の輸入がストップした。造船所には鋼板が張られていない骸骨のような船が並んだ。

 「鉄飢饉」の到来である。

 いまや、経済に命を賭けた実業家が立たねば、事態は打開できない。関東財界の雄、浅野総一郎が交渉に当たった。しかし、条件面で一蹴される。いよいよ交渉団の副将格だった金子直吉に出番が回ってきた。金子は、米国内の実情を調べるために社員を派遣していた。その情報を待ちながら、交渉の力点を見極めた。

 国を背負った交渉も、接点は「ひと」である。金子は、交渉相手の駐日大使、ローランド・モリスの人物像を知ろうとした。モリスとはどのような人間なのか……。そこに意識を集中したのであった。

*  *  *

 米国に派遣していた調査員が、ようやく帰ってきた。

 調査員は、米国内の鉄材の需給状況、船舶の損失ぶりなどを細かいデータを添えて報告した。日系人の排斥運動も絡んで、世論は強硬なようだった。「へぇ、そう」「ああ、そう」と金子は、いつもの相槌を打っていた。ひとしきり話を聞き終えて、金子は質問を発した。

「ところで、モリス大使は、どんな男かのう」 「大使は、ワシントンで弁護士や破産管財人などをしていた法律家です。ワシントンの人士の間では、立派なジェントルマンとして通っておるようです」 「ああ、そう」

 金子は表情を変えなかったが、脳内にはひらめきが走った。

 ほう、もとは外交官ではないのか。世界を股にかけてあちこち飛び歩いた古手の外交官なら食えないが、これは脈がある。弁護士で、破産管財人までやった男なら、純真な点もあるやもしれない。正攻法で攻めてみよう。ひとつ誠意を披瀝して、一切の事情を訴えてみれば、成功するかもしれん……。

 金子は若い頃から神戸の居留地で海千山千の外国人商人を向こうに回して、切った、張ったの修羅場をくぐりぬけてきた。外国人の気質には通じている。金子は、丁稚時代をふりかえりながら、密かに思った。

 英国人ならばロンドン、ドイツ人ならベルリン、米国人ならニューヨークかワシントンからまっすぐ日本に来た人物との交渉は、紳士的に正直にやれば必ず成功したものだ。だが、ボンベイ、カルカッタ、アフリカ、上海、天津、インド、バルカン半島といった半開国を渡り歩いてきた人間は、すれっからしで、食えなかった。やつらは生き延びるのに精いっぱいで、人情味を失っておった。よく駆け引きをしたものだったなぁ。

 幸いモリス大使はワシントンから直接日本に来ている……。大使を、口説こう。

船が欲しい米国、まずは鉄、の日本

 金子は、正式な交渉人としての「お墨付き」を後藤新平に求めた。その頃、後藤は、内務大臣で台閣に列していた。後藤は、金子のために紹介状をしたためたうえに、当代随一の通訳といわれた、ジャパンタイムスの頭本元貞をつけた。

 外交の舞台で一世一代の大勝負を打つ金子を後藤もまた気魄をこめてバックアップしたのである。後藤の紹介状を懐に、金子は通訳の根本を伴い、モリスとの単独交渉に向った。

 日米両国の溝は、根本認識にあった。

 日本側は、まず鉄材を輸入し、船を建造した後にその一部を見返りとして米国に送る算段だ。最初に鉄材ありき。

 米国の考えは逆である。一刻も早く船がほしい。日本で船が建造されるのを待つくらいなら、自国でさっさと造ったほうがいい。米国側は、先に現存する船を寄こせ、その船舶量に見合う契約鉄材を提供すると主張した。鉄を優先する日本と船を欲する米国……。

 この溝は、いくら意見をぶつけあっても埋めがたい。  むしろ、交渉の進め方に焦点をしぼるべきだ。

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