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“絶滅”した種はいかに再生されたのか

朱鷺の人工飼育に挑んだ近辻宏帰さんの36年

  • 宮嶋 康彦

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2008年9月26日(金)

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 朱鷺は、種の威厳を示すように、力強く羽ばたいて佐渡の空へ飛び出していった。人工増殖がスタートしてから41年、見守るすべての人の期待を背負って、放鳥箱の板を蹴った。ひとしきり人々の頭上で旋回し、オス5羽とメス5羽は、思い思いの方角へ飛び去り、小高い林を越え、じきに見えなくなった。

 秋篠宮夫妻をサポートしていた近辻宏帰さんは、直立した体を動かさず、両手の拳をしっかり結び、朱鷺の航跡を見送っていた。およそ1500人の観客席から、どよめきが起こる。どよめきはすぐに静寂にかわった。だれもが固唾を飲んで朱鷺の飛翔を見守っている。子供が叫んだ。「もう見えんよ、あの山を越えたよ」。

 子供の声に続いて、だれかが「よし、これでいい」と野太い声を張り上げた。「朱鷺なくして佐渡の農業振興はない」と農家を代弁した佐渡市役所の渡辺竜五さんの声のような気がした。それから、「放鳥はまだ早い」と言っていた金子獣医の顔も浮かんだ。近辻さんは唇を真一文字に結んだまま飛び去っていく朱鷺を追っていた。

上空を旋回し自らの棲家を探して飛び立った

 なんて美しい飛翔だろう。まるで初めて、飛ぶ鳥を見たかのような感動が胸を突いた。「近辻さんおめでとう」胸裏にこう言わずにはおられなかった。これがひとつのゴール、そしてまた、新たなスタート。放鳥からが本番、と近辻さんは言った。すべてはこの男が礎を築いた…そう思えるからだ。近辻さんに駆け寄って握手をした。いくらか表情を上気させた近辻さんが答える。

 「2羽が旋回してくれましたね、印象的でした。でも、言った通りでしょう、朱鷺は自らの棲家を探すべく、飛び立ったではありませんか」

 36年間、悲願だった放鳥を果たした近辻宏帰さんが、おだやかな口調でかたり、筆者が差し出した手を握った。そしてもういちど、「旋回してくれたのが良かった」と繰り返した。あまりの優しい物言いは、周囲の喧騒に消え入りそうだったが、握り返してくる手の力は意外なほど強かった。

 「ぼくは楽観視しています。朱鷺を信じていますから」

 淡々とした語り口は、5年前、佐渡トキ保護センターを定年退職するまでの、36年という歳月を朱鷺と共に過ごした者がはじめて口にできる、自信に裏打ちされていた。

 この男の働きがあったからこそ、その昔、朱鷺を害鳥とした人々も、朱鷺と共生する未来に希望を抱くことができた、と筆者は考えている。彼の一途な生き方に共感したからこそ、16年前、旧トキ保護センターを訪問し人物ルポを開始したのだ。

学校帰りに小鳥屋に寄るのが楽しみだった

 近辻宏帰、65歳、東京都田無市(現西東京市)出身。早稲田大学を卒業後、国立公園のレンジャーを希望し、東京農業大学林学科に学士入学、同大学院を修了した1967年3月、佐渡島の「環境庁・佐渡トキ保護センター」に赴任した。

 中学生のころ、インコ、ジュウシマツ、カナリアなどを飼ったのが鳥との付き合い始めだった。中学校の行き帰りに近所の小鳥屋に寄るのが楽しみだったという。ある日、見たこともない美しい鳥(コキンチョウ・アフリカ産)が店内で売られていた。中学生が買える値段ではなかった。

 「店主が卵が産まれたら譲ってあげるというんですよ、そしたら本当に産まれた。卵3個を300円で買ったんです。ちょうどジュウシマツが抱卵していて、その卵と入れ替えたら、なんと、うまくいってヒナが誕生した」

 大学時代は生物クラブに籍を置き、時間が許すかぎり鳥の観察に出かけた。山階鳥類研究所に頻繁に訪れていた。当時、野鳥研究家で高名だった高野伸二氏から、朱鷺の飼育係にならないか、と打診された。新潟県が「佐渡のトキ保護を担う人」の募集をしているというのだ。近辻さんは「特別天然記念物の朱鷺を飼育できるなんて、こんな喜びはない」と、是が非でもと応募した。

“絶滅”の日は朱鷺をねぎらう気持ちしかなかった

 1967年3月、佐渡に赴任した近辻さんは24歳だった。

 「今から41年前ですよね、野生最後の朱鷺5羽を捕獲して、次々に死なせてしまったことは、今でも心残りです。朱鷺が飛んでいる夢をしょっちゅう見ますね、今回の放鳥はひとつの目標でしたが、これからがたいへんですよ、野生に定着するというゴールに向かうんです、まだ途上といってもいい」

 しかし、ただ、犠牲を払っていただけではなかった。朱鷺と近縁種のホオアカトキやクロトキの飼育を通じて、繁殖技術を確かなものにしていった。中国から贈られた番(つがい)の朱鷺が、初めてヒナを孵したのも、そうした努力が実ったのだ。

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