• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

メディアに「悪徳商社」の烙印を押されて

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・14

  • 山岡 淳一郎

バックナンバー

2008年10月14日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回から読む)

 1918(大正7)年8月12日、神戸川崎町の鈴木商店本店は、二万人の大群衆に取り囲まれた。

 青天井で高騰する米価の前に民衆の怒りは頂点に達していた。働けど、働けど暮らしは楽にならない。富山から始まった「米騒動」は、神戸に波及し、鈴木商店が、その標的にされたのだった。

(イラスト:茂本ヒデキチ)

「米買占めの元凶、鈴木を焼き払え!」
「米の値段を釣り上げる悪徳商人を懲らしめろ!」

 と、群衆は投石で窓ガラスを割り、その窓から侵入した男が火を放った。天を焦がす紅蓮の炎に民衆は猛り狂い、鈴木本店は瞬く間に焼け落ちた。

 じつのところ、鈴木は米を買占めるどころか、政府の意向に沿って米価を下げるために外米をひたすら輸入していた。東南アジアや朝鮮から運び込まれた米は、安値で市場に放出された。

 かたや三井物産は、息のかかった米商人を使って買占めた。子飼いの商人をダミーに使い、三井物産は、騒動に高みの見物をきめこんでいた。

 鈴木の社員たちは、米の輸入、放出に取り組んでいる事実を公表してほしいと涙ながらに金子に訴えた。しかし「いずれ、わかるときがくる」と金子は沈黙を貫く……。

 それにしても、なぜ、これほどの焼き打ち事件が起きたのか。鈴木側の「説明不足」と世間の「誤解」で片づけるには、あまりにも事態は深刻だ。

 民衆のエネルギーが暴発した背景には、政治と、第四の権力に成長しつつあった新聞の影響があった。

発火点はシベリア出兵

 焼打ちの10日前、ときの寺内内閣は「シベリア出兵」宣言を出している。イギリスとフランスにせっつかれて出兵を決めたのだが、寺内内閣にとって痛恨の失政であった。そして、この決断を外務大臣として下したのは、他ならぬ後藤新平だった。世間は、後藤と金子が昵懇の仲だということを知っている。

 かねてより英仏は、ドイツを倒すためにシベリアへ出兵してほしい、と日本、米国に度々、申し入れていた。欧州を血で染めた第一次大戦に講和の兆しが見え始めると、英仏の出兵要請には一段と熱がこもってきた。

 そこには「ロシア革命」が絡んでいる。

 ロシア帝国は連合国の一員として第一次大戦に参戦し、ドイツと戦っていたが、国内でレーニンが指導する革命が起き、帝政が倒された。新しく樹立されたソビエト政権は、戦争を続ける意思はなく、不利を承知でドイツと単独講和を結んだ。この講和で穀倉地帯のウクライナや油田が広がるコーカサスがドイツの手に落ちると予想したイギリス、フランスは、ソ連内の反革命勢力に加担した。英仏は、ドイツへの軍事的圧力を弱めたくなかった。と、ともにソ連の社会主義が自国に及ぶのを防ごうとしたのだ。日米への出兵要請にも社会主義を押しとどめる狙いが込められていた。

 しかし、米国のウッドロウ・ウィルソンは「民族自決主義」を掲げ、ソ連への干渉を避けて出兵を拒否した。一方、日本の陸軍と外務省の一部は、これを機に出兵して大陸進出の足がかりをつくろうと考えた。日米の溝は埋まらず、こう着状態が続く。日本が、米国の意思を無視して単独出兵すれば、新たな国際紛争の火種となる。後藤は、当初、出兵に慎重だった。

 転機は、ロシア領内での「チェコ軍の孤立」であった。

 その頃、チェコ民族は独立国家を持っていなかった。第一次大戦が勃発すると、チェコの兵士たちは、ドイツ・オーストリア帝国の支配下から抜け出し、ロシア領内で軍隊を編成してドイツ軍と戦った。

チェコ軍、「敵中突破」で米国を目指す

 ところが、ソ独講和で、戦線そのものが消えてしまったのだ。いまさらドイツ・オーストリア帝国内に戻るわけにはいかない。チェコ軍は、驚くべき行動に出た。ユーラシア大陸を東へ、東へ、シベリアを横断して沿海州に出て太平洋を渡り、さらに米国大陸を突ききって大西洋を越え、ヨーロッパの西部戦線に復帰してドイツと戦うとぶち上げたのだ。地球をほぼ一周する、空前絶後の大行軍を始めたのであった。

 そのチェコ軍がシベリアで立ち往生してしまった。移民を受け入れてきた米国では、「チェコ軍を救出せよ」と世論が沸騰し、ウィルソン大統領もついにウラジオストクへの「限定出兵」を認めた。日本にも共同歩調をとるようもとめてくる。ウィルソンは、あくまでもウラジオストクに限定した出兵と念を押してきた。

 ここで外務大臣の後藤は、「それ兵は勢いなり(戦いはときの勢いによるものだ)」と出兵の腹を固めたのであった。後藤の判断に強い影響を与えた人物がいる。

 政界の奥の院=「枢密院」に根を張る伊東巳代治だ。後藤と同い歳の伊東は、長崎の通訳の家に生まれた。伊藤博文の側近として明治憲法の制定に係わり、官界で力を蓄えた。大臣経験はごく短かったが、政治の矢面には立たず、舞台裏での操作をこよなく愛した。

 伊東は、交渉ごとの文案解釈にかけては右に出るものはいない、といわれた。文案を、我田引水、いかようにも解釈してしまうのだ。後藤にとっては頼もしい参謀だった。

 伊東は「限定出兵」への同調を求める米国への最終回答に「(兵力を)増援するの必要あるべきを予想し」という一節を滑り込ませた。その必要があればウラジオストクに留まらず、シベリアへ全面出兵する、との道筋をつけたのだ。陸軍は、勇んで出兵した。

 兵が動くとなれば、大量の食糧が必要になる。シベリア出兵が決まると、米価はじわじわと上昇した。庶民は、派兵に予算をつぎ込み、米の値段を抑えられない政府に反感を募らせた。その中心には、金子と親しい後藤新平がいる。

コメント0

「金ぴか偉人伝」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック