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台湾銀行破たん--金融恐慌の陰で財閥は太りゆく

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・17

  • 山岡 淳一郎

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2008年11月10日(月)

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前回までのあらすじ)

 政局が、「金融恐慌」の引き金をひいた。
 金子直吉が築き上げた鈴木王国の運命は、風前の灯となった。

 若槻禮次郎率いる憲政会内閣は、金本位制度への復帰という大方針のもと、鈴木商店―台湾銀行を救済する「震災手形処理法案」を議会に提出した。経営が悪化した中小の銀行を整理統合する代わり、鈴木―台銀は救おうともくろんだ。金融界の枝葉を落とし、幹を生かす法案である。当初、法案は波乱なくスムーズに可決するとみられていた。

(イラスト:茂本ヒデキチ)

 ところが、審議の過程で、与党憲政会が政友本党と提携する動きが表面化すると、野党第一党の政友会が猛反発。台銀の重役室でしか話せなかった内容が次々と暴露され、鈴木―台銀間の莫大な不良債権の存在が明らかになった。

 金子直吉は、追いつめられた。
 政界の後ろ盾と頼む後藤新平は、公職を去り、かつての影響力を失っていた。財界の世話役を自認する元蔵相の井上準之助にすがりつこうとするが、その手を振り払われる。

 与野党が激しい攻防を展開するなか、片岡直温蔵相が「渡辺銀行がとうとう破産致しました」と失言し、銀行の取付け騒動が勃発。金融恐慌が起きた。

 鈴木商店を世界的商社に育て上げ、「人間にとって生産こそ最も尊い」と製造業の振興に全精力を傾けた金子も、いよいよ退路を断たれた。金融恐慌の嵐に弄ばれる鈴木商店、倒産へのカウントダウンが始まった。

 やがて鈴木に引導を渡す者が現れる。他でもない三井の大番頭、池田成彬であった。

*  *  *  *

 金子直吉は、神戸と東京を目まぐるしく往復し、金策に走り回った。しかし、鈴木商店という恐竜は、すでに満身創痍だった。金子が抜擢した社員たちは、それぞれ奔放に商いに挑み、大穴をあちこちに開けていた。腕を止血すれば、脚から血が流れ、脚の傷を縫えば胸から血が噴き出る。鈴木商店は血だるまだった。

 倒れるなら、いっそ前のめりに……いや、最後の最後まで死力を尽くすのだ、と金子は老体にムチを打って奔走した。

 孤立する金子は、忙中、従者も連れず、有馬温泉に足を運んだ。風呂を楽しむわけではない。債権者から離れ、政財界の喧騒を避け、事業企画書を山のように温泉宿に持ち込んで立て直し策を練った。どこまでも攻めに徹しようとした。

 だが、先立つものが、ない……。金子は、こんな句をひねっている。

『耳洗う 兵衛の宿の 水の音』

 湯が落ちるのどかな音も、金子には地獄の釜が煮え立つ音に聞こえただろうか……。

 1927(昭和2)年3月、三井銀行常務・池田成彬は、コール市場から一挙に3千万円もの資金を引き上げた。

 コール市場とは、金融機関相互の資金繰りを最終的に調整しあう場として自然発生した「短期金融市場」である。一般に銀行は、企業や個人からの預金で資金を調達する一方で、貸出しや有価証券の売買で資金を運用するが、これらの取引の結果の差額をコール市場で調整する。資金が足りない銀行は、コール市場で調達し、資金に余裕がある銀行はコール市場に放出する。コールの由来は、「マネー・アット・コール」。つまり呼べばただちに戻ってくる資金だ。

 台湾銀行は、自己資本を食いつぶし、資金調達をコール市場に頼りきっていた。三井銀行はコール市場で最大の資金の出し手だった。その状態から、三井は、一挙に資金を引き上げ、瞬く間に全額を回収したのである。銀行間で壮絶な「貸し剥がし」が行われたのだ。他の銀行もこれに追随する。台湾銀行は、締め上げられ、息も絶え絶えとなった。

 朝日新聞が政府高官の談話で三井のコール引き上げを糾弾する記事を掲載した。
 池田は、すぐに朝日新聞に公開状を出し、反駁する。その内容は、次のようなものだ。

「ただ高官というだけで大臣だか、次官だかわからない。他人を非難するなら、堂々と名乗りを揚げろ。高官などという得体の知れない形容詞の影にかくれて無責任な言辞を弄するとは何事か。コールを引き上げたのが、何が悪いか。正当の取引ではないか。そのコールも、いつも引き上げ得るように『無条件物』にしてある……」(「財界回顧」)

台湾銀行は三井銀行にとって目の上の瘤だった

 池田の反論は正当であろう。手続きは合法的だ。が、その真意は何だったのか?
 朝日に談話を寄せたのは大蔵大臣の片岡だと噂された。片岡は、後にこう語っている。

「台湾銀行へ一番多くコールを出していたのは某行で、この某行が取付けも一番甚だしかった。その当時も某行のコール取付けは世間の注目を惹いたが、一体某行のやり方は平常から多少変わった点があって、これは今に始まったことではない。いつかも某市の市債を一手に引受けたことがあったが、これなどもその出来栄えはよかったかもしれぬが、しかしああいう抜け駆けの功名をして、他の感情を悪くするというようなことを構わない風がある」(「昭和金融恐慌秘話」)。

 某行が三井銀行を指しているのは明らかだ。
 池田のコール引き上げの真意は、「鈴木-台銀潰し」にあったと考えられる。

 それまで、台湾銀行は三井銀行にとって目の上のコブだった。植民地の中央銀行として発足した台銀は、預金を集めるだけでなく、紙幣の発行権も握っていた。その特権を生かして鈴木商店のような国内企業への貸付を飛躍的に増大した。三井銀行は、貸付け競争で激しく追い上げられていたのだ。

 さらに貿易に不可欠な外国為替業務でも競合していた。台銀は政府系の特殊銀行なので資金量が豊かだ。それが信用力にもつながる。鈴木-台銀は、三井物産―三井銀行の手ごわい商売敵に成長していた。ここで台銀を叩けば、潰せないまでも鈴木への資金供給を断てる。力を殺げば国内の金融市場から追い出せる、と池田は計算したであろう。

 三井のコール引き上げがほぼ終わった3月23日、大もめにもめた「震災手形処理法案」が貴族院で可決、成立した。ただし、ふたつの附帯条件がつけられた。法案の運用に当たっては震災手形委員会で厳正公正な審査を行うこと。もうひとつが「台湾銀行特別調査委員会」を設け、台銀の地位を強固にする措置をとること。要は、経営への政府介入だ。台銀特別調査会の会長には井上準之助が就任すると決まった。

 コール市場で兵糧攻めにあっていた台銀側は、ホッと胸をなで下ろす。政府がわざわざ調査会まで立ち上げるからは、潰されることはないと安堵した。だが、延命には「踏み絵」が用意されていた。

 「鈴木商店との絶縁」が条件だったのだ。

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