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第5世代コンピューターの研究から、「信長の野望」への道

~コーエー執行役員社長COO 松原健二氏(1)

2008年11月4日(火)

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 職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、自身の経験を語っていただくトークセッション「Road to CEO」。最終シリーズとなる今回は、コーエーの代表取締役執行役員社長COO、松原健二氏をゲストに迎えた。

コーエー執行役員社長COO 松原健二氏

 松原氏は、東京大学大学院情報工学課程を修了し、1986年日立製作所に入社、マサチューセッツ工科大学スローンスクール(経営大学院)を経て、97年日本オラクルに移る。2001年にコーエーに迎えられ、「信長の野望 Online」「真・三國無双 Online」といった多数のオンラインゲームをプロデュースし、2007年6月から現職を勤める。

 当初は研究者志望だったという大学時代の話から、日立、そしてオラクルでの仕事ぶり、まったく畑違いのゲーム会社に入って、苦労しながらプロデューサーを務めた様子、オンラインでのエンタテインメントの可能性、キャリアにおける人の縁の大切さまで、長時間語っていただいた。

 司会は日経ビジネスオンライン副編集長の山中浩之と、インディペンデントコントラクター協会理事長を務め、様々な企業経営の現場に立ち会ってきた秋山進氏。テーマ別に5回に分け、火・木曜日に掲載する。

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司会、山中(以下Y) 大学は東京大学で情報工学。当時、どんなことをやられたんですか。

松原 情報工学は大学院だけ。学部は電子工学。半導体もパワーエレクトロニクスも習ったんですけど、やはりプログラムに興味がありまして、院は情報工学を選びました。

 当時、私の担当教授は、第5世代コンピューター計画の責任者をしていたので、私もそのプロジェクトに参加して、卒論から修士まで、シミュレーションプログラムをずっと書いていました。

Y そちらの世界を志向されたのはどういう背景があったんですか。

松原 大学に入る前から物理、数学が好きで、それで理科系を選んで入ったので、自分としては研究者を志していたと思います、10代のころは。大学院に入るぐらいに、研究に行くか実業の世界に行くかという見極めを修士の間にしよう、と思っていましたので、結局、それで実業の世界を選んで入ったという感じですかね。

Y そこの見極めはどこがポイントですか。

松原 「研究者になるほど頭がよくない」と思っていまして。周りを見ると、プログラムを書く能力も、いろいろな物事を1つに集中して解決していこうという姿勢もすごかった。私は雑学的な、虫食い的なものが性に合っているのか、いろいろなことに手を出したくなってしまって、1つに集中して論文を書き上げるよりは、大きいプロジェクトとか物を作るという方向に、だんだん興味を持っていった。大学で、コンピューターのプログラムを書きながら、実際のITの仕事が分かってくるに従って、「やっぱり実業の世界に行こうかな」と考えた感じです。

IBMコンパチにおける「創造性」とは

Y 1986年に卒業されて日立製作所に入ると。日立を選ばれたのは何かこだわりをお持ちだったんですか。

松原 私は練馬区、東京に住んでいたんですけれども、最初は研究所を志望していました。

Y かの中央研ですね。

松原 ええ、国分寺にありました。いつまでも自宅から通うとは思っていなかったんですけれども、工場も神奈川にあるので、そういう点では、研究所、工場が、東京に近いという。すごい緑に囲まれた雰囲気のいい研究所ですよね。「ここで働きたい」と思って日立に応募させていただきました。

Y 実際に中央研には行かれたんですか。

松原 研究所に応募はしたんですけれども、「やっぱり事業部に行こう」と思って、研究所を辞退して事業部の方に自分から参りました。

秋山 日立って技術は立派ですけれど、でも、アイディアをビジネス化するところが「どうかな」というイメージがありますけど、そういうところでご苦労されたりしませんでしたか。

松原 そんな感じはしましたね。みんな、頭もよくて、一生懸命働いているんですけど。

 当時はメインフレームという計算機を作っていて、日立はIBMコンパチ(互換機)の仕事をしていました。そういう点ではビジネスとして安定しているんですね。ある程度の市場性が確保できるし、価格と性能比をIBMよりいい形にすれば、一定のシェアは取れる。もちろん一番大きいシェアは取れないんですけれども。そういうビジネスがあったので、新しいことにチャレンジするところは盛んではなかった。

Y 個人的な興味ですが、コンパチ機を作るお仕事は、最初から「この枠の中でこの材料でやるんだ」みたいなことががっちりと決まっているお話ですか。それとも、もっとチャレンジブルなものですか。

松原 互換性、すなわちコンパチビリティが取れる、というのは、ソフトウエアから見て同じ動きをするというだけであって、中身は全然違うんですよ。私は回路を設計するのですが、もちろんIBMの回路の中身なんて分からない。中はブラックボックスになっているんです。それと同じ動きをするハードを「日立風」に作ると。

 半導体のテクノロジーも、冷却するテクノロジーも違うので、その中で知恵を生かして、新しい回路を考え、一番いい製品を作ろう、という仕事です。消費電力を抑えて、使うLSIのコストも抑えて、というところに関しては知恵の絞りどころ。外見はIBMと同じなんですけど、中身は全然違うんです。

Y なるほど、そういう意味で、すごくチャレンジングで。

松原 そうですね。日立ももともとはIBMコンパチじゃないものを作っていたんですけれども、プログラムの資産の継続性を考えると、コンパチビリティでシェアを最初に取ったIBMが自社のアーキテクチャーを世界に広めたので、それ以外のアーキテクチャーは淘汰されました。日立もそうですし、富士通もIBMコンパチのビジネスをやっていました。

Y 当時、パーソナルコンピューターが出かかってきたころですね。そちらは、メインをやっている方からすると、おもちゃみたいな感じだったんでしょうか。

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「第5世代コンピューターの研究から、「信長の野望」への道」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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