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「2000年問題」の火を消せ!

~コーエー執行役員社長COO 松原健二氏(2)

2008年11月6日(木)

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 日立に就職し、MITに留学した松原氏は帰国後にオラクルに転職。折からの2000年問題に立ち向かいつつ、ネットビジネスの将来性に気づく…


コーエー執行役員社長COO 松原健二氏

司会、山中(以下Y) アメリカの方へMBAに行かれたのは何年でしたっけ?

松原 1995年に入学して1997年に卒業しました。

Y この「Road to CEO」にお招きする方の多くが、米国へ行ってMBAを取られて、戻ってきて独立して社長になるんです。正直、(留学させる)会社はたまったものじゃないだろうといつも思うんですけれど(笑)。

松原 それは会社に申し訳ないと思います。最終的には「申し訳ございません」で辞めさせていただきましたけれど、行く前も行っている最中にも「帰ったら、こういうことをやりたい」と思っていたんですけれど……。当時はメールもそうみんなが使ってはいなかったし、電話も頻繁にできるわけじゃないので、たまに帰ってきて話をすると、ギャップが出てきて、だんだん居場所がなくなってきた感じがして。

 戻って、元通りの設計の仕事をするのも、自分としては納得できないし、一方で、会社が、「MBAを取ったんだからこんなのをやったらどう」というのは、本来のモノづくり会社をどういう方向に持っていくか、というポジションよりは、分析的な話だと思ったので、「行く場所がなくなったかな」と思って、「辞めさせてください」という話をさせていただきました。

司会、秋山(以下A) ビジネススクールに行っている間に、「開発よりもマネジメントの方が好き」と思われたんですか。

松原 もともと開発でも、日本の会社ってずっと開発じゃなくて、開発のマネジメントに行くじゃないですか。その志向があったので、そのために必要なスキルを、というのでビジネススクールを選んだんです。

 エンジニアであっても、マネジメント上、お金の計算は知らなきゃいけない。ビジネススクールの中で、アカウンティングであれ、ファイナンスであれ、それを生かしたマネジメント的なものというのが一番今でも役立っていると思います。

Y マネジメントへのご興味、志向を持たれたのは、いつからですか。

松原 研究職志向で行くんだったら、博士過程に行って、大学の先生を目指していたでしょうね。「マネジメントをやるエンジニア」という形は、会社に入ったときからもう意識していたと思います。

 私は直接にゲームを作った経験はまったくないんです。それでもゲームプロデューサーをやり、ゲームのモノづくりを指導する。100%違うモノづくりなら難しいでしょうけれども、ITを生かしたモノづくりマネジメントという立場であれば、自分では務められると思います。

2000年問題の火消しに飛び回る

Y MITを1997年に卒業され、日本オラクルに行かれるんですが、この間の経緯を教えていただけますか。

松原 「卒業する前に、伝えないと失礼だな」と思って、春の間に「辞めたい」という意思を会社に伝えて。そのときにはどこに就職するのか決まってなかった。それから、1回、日本に呼び戻されて。説教を食らって、結局「すみません」でご放免いただいた。(日立は)非常に寛容な会社だったなと感謝しているんです。

 どこか就職しなきゃいけない。就職のガイダンスはたくさん受けました。皆さん学校に来てくれるんですね。その中で気になったところにレジュメを送って面談をしました。自分の中には「アメリカで仕事をしてみたい」というのがあって。

Y なるほど。

松原 ただ、向こうの会社は日本人でMITのMBAを出たからと言って、すぐに雇ってくれないんですよ。そのとき、オラクルが日本の中に開発部門があって、アメリカの本社の開発部門にトランスファーして仕事ができるというパスが当時あった。オラクルは世界第2位のソフトの会社ですので、「非常にいいチャンスだ」と思ってお世話になることにしました。

Y なるほど。創業者にあこがれたとか、そういうわけではない?

松原 (創業者の)ラリー・エリソンとか、当時、日本のオラクルの社長をされていた佐野さんはどういう人か、というのは、オラクルへの就職を真剣に考え出してから本を読んだり、いろいろ調べたりしました。

A 責任のある立場で入られたんですか。それともわりとエンジニアに近いような。

松原 データベースも含めて、さまざまな開発ツールやいろいろなアプリケーションのローカライズ版の開発マネジメントをしていました。アメリカの開発とのリエゾン的な役割もありました。全部、日本でローカライズするわけじゃなくて、アメリカの開発部隊と話し合いながらやると。そういう点では、ある程度、製品リリースのスケジュールの責任を負っていました。

A 仕事は面白かったんですか。

松原 面白かったですね。2000年問題というのがあったんですよ。

(会場、ちょっとどよめく)

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「「2000年問題」の火を消せ!」の著者

山中 浩之

山中 浩之(やまなか・ひろゆき)

日経ビジネス副編集長

ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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