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丁稚の夢、破綻も世紀をも超えて

丁稚が創った世界企業~金子直吉伝・18(最終回)

  • 山岡 淳一郎

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2008年11月17日(月)

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(イラスト:茂本ヒデキチ)

 鈴木商店は倒産した。だが、破産はしなかった。

 金子直吉は、事業を後世に残すために全精力を次ぎこんだ。神戸須磨の家を出て、居所を転々と変えながら、債権者との「示談」に臨んだ。

 1927(昭和2)年師走、東京銀座木挽町、場末のうらぶれた旅館の前にタクシーが止まった。夜は更けて、花柳界の三味の音も途絶え、木枯らしが路地裏に舞うばかりだった。

 「これを金子さんに……」と、タクシーから降りた男が宿の女将に書状を手渡した。

 二階の部屋で金子は机に向って端座し、書類の山を一心不乱に読み込んでいた。朝起きて顔を洗い、軽い食事をとってから、じっとその態勢のままだった。旅館の風呂にも入らない。傍らのヤナギ行李には事業の継承案や債務状況、再生手法などを記した書類がぎっしりと詰め込まれていた。そこは、金子の前線基地であった。

 手紙には、東京の病院に入院している金子の長女の容体が急変したことがつづられていた。手紙は、まかり間違えば臨終の床になるかもしれないので、すぐに迎えのタクシーで駆けつけてほしい、と哀訴している。

 薄暗い灯の下に直吉の蒼ざめた表情が、ぼうっと浮かんだ。口元が、わずかにきゅっと歪んだ。父親の顔を見せたのは、その一瞬だけだった。

「いま、忙しゅうて、行っちゃいられん。娘どころじゃない。行かれんと言ってくれ」

すべての債務を弁済した金子直吉

 と、拍子木をピシャリと打ったような言葉を女将に投げつけると、ふり返りもせず、再び書類との格闘に戻った。背を向けられた女将は、あきれはてて階下におり、使者に返答を伝えた。使いの男は、どうしていいかわからず、しばらく玄関先にたたずんでいたが、金子の降りてくる気配がないのを知ると、肩を落として帰って行った。

 走り去るタクシーの音を聞く金子の目から、ポタリと、滴が落ちた。

 許せよ。わしの肩には鈴木の子会社、工場で働く30万の人間の行く末が載っておるんじゃ。いっときたりとも私情に費やす暇はない。金子は、感情を押し殺した。唯一、自らの心情を託したのが俳句だった。年の瀬に、こんな句を詠んでいる。

『懸乞の 聾親父に 困るかな』

 すがりついてくる物乞いの聾者にじぶんを見立てたのだろうか。娘の危篤の報にも耳をふさぎ、債権者に示談を乞う親父は困ったものだ、と……。

 金子はねばり強く示談を進めた。鈴木商店は、支払い停止後、株式鈴木を整理会社にし、その後、高畑誠一が率いる日本商業に営業を移転。これを、翌1928年、「日商株式会社(双日の前身)」に改組して再建を行った。以後、6年間、債権者会議を開くこともなく、破産宣告も受けず、すべての債務を弁済して整理会社は解散されている。

 金子は示談方針を貫いた。それが可能だったのは、金子をはじめ鈴木の経営者に隠しカネや資産の逃避がなく、あくまでも事業経営上の倒産だったことを債権者側が確認し、話し合いに応じたからだった。倒産した経営者が隠し事をせず、「俎板の鯉」になれるかどうかは、債権者の心象に大きな影響を与える。

 金子は、事業整理の渦中で大阪朝日の取材を受け、鈴木破綻に関する談話(「昭和金融恐慌秘話」)を公にしている。まさに「敗軍の将が兵を語った」のである。以下、その内容をまとめておこう。金子は、こう口を開いた。

「自分の不明不徳から世間を騒がしたことについては誠に申し訳ないと思っている。だから恐慌当時のことは何も語りたくない。すべては自分の罪とひたすら謹慎している。だがある意味で恐慌の遠因をなした鈴木商店の過去の打ち明け話ならして見よう。幾分でも世間の参考にでもなればそれだけ罪滅ぼしともなろうから……」

 そして「統制力を失った」ことが敗因だったと分析する。
 金子は、親しい後藤新平からドイツの疲弊で第一次大戦の終戦が近いことを知らされる。

現場の統制を失ったと悔いる

 そこで拡大方針を変えようと、退却の準備にとりかかった。ところが、絶頂期にあって、まったく制御が効かなかったというのだ。金子は、述べる。

「……多くの学校出の秀才を集めたが、これらの駿馬はロンドン、ニューヨークで世界財界の大立者に接触し、また彼等と角逐して、しかも一歩もひけをとらないというのだから、スッカリ自信がついてしまったのだ。だから私のいうことなども余り聞いてくれなかった。それも私の予想が百発百中の間はとにかく聞いてくれたが、時たま外れたりすると、『あの老爺は近ごろタガがユルんで来た』とか『焼きが廻った』とかいって、どうしても聞いてくれない」

 たとえば、関東大震災の影響で、外為替相場が暴落しつづけていた頃、金子は輸入手形はなるべく急いで取極め、輸出手形は延ばせるだけ延ばすようにと社員に指示をした。しかし、鈴木の「駿馬」たちはまるで反対の行動をとっていたのだった。

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