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プレイヤーである前に、「野球人」であれ

古葉竹識・東京国際大学野球部監督

  • 酒井 香代

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2008年12月19日(金)

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 日本の野球界で名将を挙げるとしたら。

 そのリストに間違いなく記される一人が、元・広島東洋カープ監督の古葉竹識だろう。

 監督デビューは、1975年5月。シリーズ開幕後、たった15試合で帰国してしまったジョー・ルーツ監督の後を引き継ぐという電撃的なものだった。

 突然とも思えた監督交代劇にもかかわらず、この年、カープは球団創設初のリーグ優勝を果たす。しかし新監督の指導者としてのキャリアは決して長いとは言えなかった。コーチ経験は、たった3シーズンに過ぎない。

赤の「72」の鮮烈な記憶

 古葉のプロ野球人生は、58年、22歳で始まる。カープで12シーズン在籍した後、70年、南海ホークスに移籍するが、2シーズン限りで引退。そのままコーチとしてホークスに残った古葉は、野村克也監督の下で指導者としてのスタートを切る。が、これも2シーズン限り。専修大学の2年先輩の森永勝也(当時カープのコーチ)からの、たっての要請で、74年、カープのコーチとして古巣に戻ったのである。

 広島でのコーチ1年目の成績は、さんざんなものだった。リーグ最下位の6位。勝率は5割に満たなかった。責任を取る形で、森永監督は退任。森永が招へいした大リーグ出身のジョー・ルーツ打撃コーチが、75年、カープを率いることになっていた。が、突然の帰国。名将のデビューは、思いもよらない形で訪れたのだ。

 その後は、赤ヘル軍団を3度(79、80、84年)もリーグ優勝と日本一へと導く。燃える闘志を表すという赤に彩られたユニホームの「72」が、ベンチの隅で鋭い眼光を光らせている姿を、記憶に残している人も多いだろう。

大学野球の監督に転身

 しかし、今、古葉監督が着ているのは青いユニホームだ。奇しくもかつての背番号と同じ「72」歳を迎える今年、大学野球の監督としてのスタートを切った。

 東京国際大学硬式野球部がそのチームだ。

 創部43年を迎えるが、所属する東京新大学野球連盟でのリーグ優勝の経験もない。

 当然世間は、全国370校余り、26リーグある大学野球の頂点を決める春と秋の神宮球場での大会優勝を期待する。正式に就任発表をした2月の会見後、「早稲田大学の斎藤祐樹君を倒して日本一に」との文字が新聞をにぎわした。

 監督自らも「リーグ優勝、そして日本一を目指す」と宣言した。今年の成績は、東京新大学野球連盟の1部リーグ(6校)中、春は4位、秋は3位に終わった。

 名将の闘いは、続く。しかし大学野球という場で、古葉監督が目指すのは、「優勝」の2文字だけではない。

 

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