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【時代のリーダー】盛田昭夫・ソニー会長

「私がSONYだ」日本人の規範を超えた事業も自己充実の道具に

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2009年1月15日(木)

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先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1986年3月31日号より

日本でよりも海外で人気のある会社、ソニー。「ミスター・ソニー」を自任する会長の盛田昭夫その人も例外ではない。シンデレラ物語を地で行った戦後派企業と、世界の檜舞台で活躍する“花形スター”の性格は、ともに自己主張する点で見事に一致している。自己抑制、禁欲主義とは正反対の、自分の意志に忠実に思うがままに生きようとする飽くなき欲求。この貧欲さが、事業さえも自己充実という至上の価値に従属させる。(文中敬称略)

(末村 篤)

 「Do you know me?」で始まるアメリカン・エキスプレスのテレビコマーシャルを御存知だろうか。ゴルフの帝王、ジャック・ニクラウスがクレジット・カードを片手に語りかけてくるあのCFだが、本家本元の米国でこのテレビCFににこやかに登場するたった一人の日本人がいる。白髪の紳士は、画面の中でソニーのポケットテレビに映った自分と対話し、最後に「I am Akio Morita chairman of SONY」と締めくくる。ソニー会長、盛田昭夫その人である。

盛田 昭夫氏

盛田 昭夫(もりた あきお)氏
大正10年1月26日生まれ、愛知県出身、65歳。昭和19年、大阪帝大理学部物理学科卒。海軍中尉、東工大講師を経て、21年に東京通信工業を設立、取締役に就任。33年、社名をソニーに変更。34年、代表取締役副社長、46年、同社長、51年から同会長。ニューヨーク証券取引所上場企業諮問委員会委員のほか複数の米国企業の役員を務める。

 かつて雑誌「タイム」の表紙を飾り、今また全米ネットのテレビCFに登場する。経営者のワクを超えたタレント並みの人気を博す盛田の米国での名声を、知米派経済人の一人、牛尾治朗ウシオ電機会長がこう語っている。

 「米国での知名度では一に盛田、二、三がなくて四に大河原(良雄前駐米大使)。牛場さん(故人、信彦元対外経済相)も盛田さんほどじゃなかった」

 翻って国内ではどうだろう。初代の日米賢人会議メンバーに選ばれ、現在は日本電子機械工業会会長の職にあるが、人気という点では今一つ。長老が支配する経済界では「スタンドプレーの目立つ人」(財界首脳)という冷ややかな反応が少なくない。小林陽太郎富士ゼロックス社長などは「盛田さんは日本では過小評価されている」と不満げなのだが、内に弱く外に強い盛田の評判には、この人物を理解するうえで重要な鍵となる要素が含まれている。

 盛田の棲む世界を知るヒントの一つはソニー会長室のパソコンの中にある。ソニーの前身、東京通信工業の創設以来40年間にわたる活動の軌跡とも言うべき約6000人の「フレンド・リスト」が記憶されているのだ。この人名録の過半、3000人以上は外国人といい、こんな会話がリストの一端を垣間見せる。

 「IBM元会長のワトソン、モトローラ会長のギャルビンとは家族ぐるみの友人だし、キャサリン・グラハム(ワシントンポスト会長)やラムズドルフ(前西独経済相)が日本に来た時はウチで食事をして行く。キッシンジャー(ハーバード大学教授)やサッチャーさん(英国首相)とは電話でよく話しをする」。グラハムは大統領夫人よりも影響力のある女性として有名だ。さらに、帝王、カラヤンとの交遊も付け加えておかねばなるまい。

国際舞台の花形スター

 “盛田人脈”は、ビジネスマンから政治家、芸術家まで実に幅広く、ほとんど無秩序に近い。共通しているのはいずれも各界の一流の人物であるということくらいだろう。「相手の名声を利用してやろうということは考えてない。誰だって好きなことをする時は目的なんて考えないのと同じで、あの人は社交そのものを楽しんでいるようだ」と牛尾はみる。いちいち目的を持ってこれだけの人間と付き合えるわけがないというのである。

 もっとも、最初から無目的だったかどうかは疑問だ。盛田は昭和38年から1年半、家族を伴ってニューヨークに滞在しているが、この時「一流企業のトップに相応しい生活をさせて欲しい」と言って5番街の最高級アパートを借りて住んだ。「田島会長(道治、当時)が渋い顔をした」(井深大ソニー名誉会長)と言うほどで、旅行者の外貨持ち出し制限が500ドルだった時分、家賃は月1000ドル近かったといわれる。

 米国の一流人が住む最高級アパートに居を定めた盛田は、たどたどしい英語で三日にあげずにパーティーを開き、米国の上流社会に顔を売って行く。ソニー製品を売るばかりかソニーという会社、そして自分自身を売り込んで行ったのだ。ソニー製品を売るためには高級イメージを自ら作り出す必要があるという戦術論から出たものなのか、根っからの社交好きで自分を売り込んだ結果がソニー製品の販売促進につながったのかは定かでない。

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中村 克己 元ルノー副社長、前カルソニックカンセイ会長