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【時代のリーダー】豊田英二・トヨタ自動車会長

「しなやか総帥」闘志抑え…そして決断 GM提携・工販合併の大業

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2009年1月21日(水)

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先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1985年4月1日号より

 トヨタ自動車会長の豊田英二ほど、とらえどころのない経営者はいない。日本一企業の総帥でありながら、決してワンマン経営者ではない。  トヨタ創業時から経営中枢に携わり、数々の決断を下してきた。経営者としては信長、秀吉、家康の特徴を合わせ持つが、本質は上杉鷹山に近い。  工販合併が軌道に乗り、GM提携もスタートした。財界活動にも本腰を入れつつある。果たして次は何をねらう。(文中敬称略)

(本誌副編集長、佐藤 正明)

 豊田市竹町谷間(やげん)。地名とはうらはらに一帯は小高い丘になっており、眼下にはのどかな田園風景がつらなる。ここにわが国最大の企業、トヨタ自動車に君臨する豊田英二の自宅がある。玄関の横に鎮座する土蔵風にあしらった蔵を除けば、やや大きめの何の変哲もない家である。

工場回り、飯より好き

豊田 英二氏

豊田 英二(とよだ・えいじ)氏
大正2年9月12日、愛知県生まれ、71歳。昭和11年東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月豊田自動織機製作所に入社。12年トヨタ自動車工業分離独立に伴い転籍。20年5月取締役、25年7月常務、28年7月専務、35年2月副社長、42年10月社長。57年に会長となる。

 竹町谷間は豊田市郊外にあるが、トヨタ独自の地図をみると、谷間が中心となる。英二の庭先からは東の方向にトヨタ町1番地のトヨタ本社と本社工場がうっすらと見える。

 さらに放射線上に北に元町工場、北西に三好工場、西に堤、下山、明知の三工場、そして西南に高岡工場、東南に上郷工場がある。

 つまり英二邸を中心に東西南北に巨大な工場群が張りめぐらされた形だ。しかもここを起点に円を描けば、半径5キロ以内に9工場がすっぽりと収まる。

 こうみてくると、トヨタ城の本丸は谷間の英二邸であることが一目瞭然である。英二がここに家を構えたのは、昭和51年だから、まず石垣(工場)を築き、その後に本丸を建てたということになる。これは英二の幼児体験と無関係ではない。

 英二は4歳から東大に入り上京するまでの10数年間、父親の豊田平吉が経営する「豊田押切紡織」で過した。むろん母屋は工場内にあり、英二少年は工場を遊び場として育った。この押切工場は現在、東芝名古屋工場となっているが、その母屋は今なお東芝の社員寮として使われている。

 巨大な工場群の真ん中に住居を構えるという発想は、工場内に母屋があった押切時代の延長線上にある。土蔵風の蔵も幼年時代を思い出してのことだろう。

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