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耳学問で賢くなる人、ダメになる人

山下亀三郎伝・6

  • 山岡 淳一郎

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2009年1月26日(月)

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(イラスト:茂本ヒデキチ)

前回から読む)

 日露戦後の株価大暴落で、山下亀三郎はスッテンテンになった。
 愛着のある横浜を引き払い、ひとまず東京に居を構え、再出発を図る。

 「菱形償却法」という独特の方法で債務返済に着手した。これは、当初、小額を返し、会社の利益が増えるにつれて返済額も菱形に膨らんでいくというもの。山下は、債権者を説得して回り、同意をとりつけた。

 冷静になってみれば、株では失敗したが、船の商売は軌道に乗りつつあった。亀三郎は、改めて海運で生きる決心する。

 1911年、資本金10万円で「山下汽船合名会社」を立ち上げた。海運最大手の日本郵船の資本金と比べると、じつに百分の一以下なのだが、ともかく、正式に船会社を興したのである。

 そして、すぐさまロンドンへ出張員を派遣した。

弱小企業、いきなり世界の心臓部へ

 これには内外の海運関係者が、びっくり仰天した。当時、日本郵船、大阪商船の二大船社ならともかく、国の保護政策も受けられない弱小の船社でロンドンに駐在員を置いたところは皆無だった。異例中の異例である。

 「読み書きができない無学文盲」を装い、ひたすら「耳学問」で商売を切り拓いてきた山下は、それだけ「早耳=情報」の大切さをひしひし感じるようになっていたのだ。

 海運は「いつ、誰が、何を、どこへ、どのように運ぶか」というオペレーションの要素と、品物ごとの相場、景気動向が複雑に絡む。難解なパズルを組み合わせるような商売だ。投機性が高く、状況を読み誤ると地獄に落ちる。情報が決め手となる。

 このころ、世界全体の総船腹量は、約4千数百万トン。その半分ちかくを英国船が占めていた。英国は七つの海の支配者だった。海運のあらゆる情報がロンドンに集まった。

 その中核が、18世紀初頭に発祥した「バルチック海運集会所」である。ここに会員登録したブローカーたちは、「顔」と「顔」で培った厖大な海運情報をもとに積荷を探す世界中の船と、輸送の船を求める荷主をつないでいた。船主と、船を運用するオペレーターとの傭船契約や船自体の売買仲介もこなした。

 シルクハットを被ったブローカーたちは、古色蒼然たる建物のなかで、昼間からバーで一杯ひっかけ、葉巻をくゆらせながら、のんびり世間話でもするように大きな契約を次々とまとめていった。海運界では、口コミ情報こそ、宝だった。

 山下は、その宝の山がそびえるロンドンに社員を張りつかせたのである。

 一方で、山下は国内の体制も整えた。船商売をやるなら港町に拠点を置くのは当然だ。東京に近い横浜は、日の出の勢いで発展している。再び横浜に戻るのか、……と思いきや、山下が選んだ新天地は「神戸」だった。神戸の栄町通りに支店を出した。ここが、瞬く間に山下汽船の根拠地に成長していく。

 なぜ、山下は神戸を選んだのか?
 本人は、「船をやるなら神戸」としか語っていない。

 確かに神戸の海運は、急速に伸びていた。が、それだけではないだろう。言葉数の少なさは、亀三郎の断固たる意志の裏返しではないか。

 横浜への「意地」を貫いたのだとおもう。山下は横浜を去るとき、関係者たちに「捲土重来を期す」手紙を送った。しかし、誰一人として返事を寄越さなかった。横浜の財界人たちは、山下を陰で「泥亀」と罵り、「水に落ちた犬は打て」とばかり一片の情けもかけなかった。

 そんな横浜財界への強烈な対抗心が、亀三郎を西へ向かわせたと考える。
 それともう一点。

鈴木商店を率いる金子直吉に舌を巻く

 神戸を選んだのは、鈴木商店を率いるもうひとりの「金ぴか偉人」、金子直吉がいたからだ。金子は、一介の砂糖商だった鈴木商店をみるみる大商社に成長させ、日本一の三井物産を猛追していた。

 船会社は、荷がなければ儲からない。荷を扱うのは商社である。商社は情報を握っている。金子直吉は、破竹の勢いで突き進んでいる。山下は、天才・金子直吉のパワーに引き寄せられ、またその力を利用しようとしたのだろう。

 事実、山下は、鈴木商店本店の目と鼻の先のところに支店を開いた。しばらくすると鈴木商店の旧社屋を譲り受け、やがてそこを御影石張りの新社屋に建て替えて、山下汽船本店を置くことになる。二人の関係は、かなり緊密だった。お互い、丁稚から、裸一貫で商売に挑んでおり、意気投合したのであろう。

 山下は、金子と接して、圧倒されたようだ。金子について、こう語っている。

「(金子は)四六時中事業に没頭しているが、電車の中、汽車の中、自動車の中、睡眠前の寸刻も読書に余念がない。そして非常に記憶力が強い。一度聴いたことは地獄耳で、一度頭に入れたことは金輪際忘れない。従って、読書癖にもとづく多年の勉強のため古今東西の治乱興亡に精通し、日本はもとより欧米の地理にも詳しく、漢学にも通じ化学にも一隻眼を有し、政治経済には独特の卓見を抱持し、談論風発、座談を得意とすることは天下一品である」(「金子直吉伝」金子柳田両翁頌徳会)

 丁稚あがりなのに金子の博覧強記は凄まじい。大学出でも金子にはかなわない。しかも金子は、すべて独学なのだ。正真正銘の天才だ、と山下は舌を巻く。

 しかし、だからといって山下は、じぶんを卑下したりはしない。金子を羨んだりもしない。そこが山下亀三郎の「人間学」の面白さであり、かれの強さでもある。山下は、金子の知識や情報を「外智(外の智恵)」として使えばいいという発想なのだ。

 山下は、頭がいいとはどういうことか? と自問し、興味深い談話を残している。

「泥亀サバイバル~金ぴか偉人伝・2」のバックナンバー

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